2004年9月20日の温野菜サラダ

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古い写真を見返すと、その古い写真がなければ思い出さないことが思い出される。このブログに何回も書いてきたように、それは、忘れていく(あるいは記憶が変容していく)というゆるやかで穏便な人の頭の動きに逆らうきっかけになる。なので、忘れたくないのに忘れ行くことには、忘れずに済む、あるいは記憶を修正復元出来るから、良い作用かもしれないし、一方で、忘れていたかったのに無理やり思い出させられてしまった、と言う場合には「困った写真」と言うことにもなる。でも今のところは概ね、あぁ、こんな日があったなぁと思い出すのは「懐かしい」感じで悪くないことが多い。もっと多いのは、写真を見ても、なにも思い出せず、その写真を自分で撮ったということは自分のHDDにあるから故の類推という場合かもしれない。「困った写真」の(それほど剣呑ではない)よくありそうな一例は、(私にそういう写真があったわけではなく、あくまで一般論として)元カレとか元カノの写真かなぁ。プリントの時代にはユーミン曰く♪泣きながらちぎった写真を掌でつないでみるの♪など、いじいじしつつも破るとか捨てるとかしていた。いまはデータの消去だから「本当に消去してもいいですか」の最終確認の表示を指で触れば、あるいはマウスでクリックすればよい。でも意外と、前者はネガフイルムで、後者はクラウドに残っていたりするから厄介かもしれない。きれいさっぱりするには最初から写真など撮らない方が無難だ。

でも撮ってきた。もう辞めようがないな・・・。

と言うわけでこの写真は2004年の9月20日に撮った写真である。鎌倉の由比ガ浜通からちょっとだけ由比ガ浜駅の方に入った斜めの道にあったカフェにはじめて入り、カウンター席で食べた温野菜サラダの写真である。一緒に飲んだものがコーヒーだった気もするが、飲めもしないくせに、気張ってコロナビールかなにかを頼んで顔を真っ赤にしたかもしれない。このカフェでは店主のAさんが腕を振るう「ベトナム風肉載せご飯」とか「鎌倉ナムル丼」とか「まさ子さんの焼うどん」(いや、まさ子でなくほかのお名前だったかもしれませんが・・・)などなど、あぁカレーも美味しかったな・・・あとは一品物や日替わりのメニューも含め、美味しいものがたくさんあって、この2004年9月20日は初めて行ったときだと思うけれど、そのあと、私は、茅ケ崎市に住んでいて、この店までは電車を乗り継いでかつ駅から歩いて・・・と言う一時間強を要したけれど、その割には頻繁に行くことになった。するとそのうち、メニューには載ってない、その日手に入れた食材で造ったちょっとしたおつまみみたいなのを小皿に載せて出していただくこともあった。店内のテーブルの上に赤紫のチューリップの花が一輪挿しに飾られているのを撮った写真は、私の2011年にやった写真展「Travis Line」でA3にプリントして展示した。

数年後に、店は鎌倉駅の方に移って、店名も変わり、メニューは同じだったけれど、なんとなく由比ガ浜にあったときののんびりとした感じが減ってしまった。さらに、その鎌倉駅近くの店も他の方に引き継がれ、その時点でAさんの手を離れて、メニューも例えば生しらす丼などを並べた店に変わってしまった。Aさんはどうやら海外に移住もしくは(帰国の意思があるのかもしれない)長期滞在に行ってしまったみたいだが、これだってネット上で見つけた微かな、それこそ糸電話の震えみたいな五年くらい前の情報で、いまお元気なのかは不明だ。

なんていうここに書いたことは、この写真を見なければ思い出すきっかけがないから、脳内のシナプス反応にこの記憶を呼び出すためのトリガーが発令されない。そのまま二度と思い出さなかったかもしれない。言い換えると、写真がないから思い出せないことがたくさんあるのだが、それはそれで思い出せないのだから、具体性を伴わないので思い出せなくても平和だ。中途半端に覚えていて、中途半端に忘れているというのが居心地の悪いことになるのだろう。