2004年3月27日の中央線

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The Boomが歌った「中央線」の歌詞

『君の家のほうに 流れ星が落ちた

僕はハミガキやめて 電車に飛び乗る

今頃君は 流れ星くだいて

湯舟に浮かべて 僕を待ってる

走りだせ 中央線

夜を越え 僕を乗せて』

1996年の曲。本当は君は僕を待っていない、もちろん流れ星をくだいて湯舟に浮かべることなどできはしない。だからこれは君をすでにファンタジーの世界に置いて、それでも君とのもう現実にはありはしないつながりを信じたくて、僕は理由をこうして見つけては、中央線に飛び乗る。夜に。と、読み解くのが合っているのかどうかは実際はどうでもよくて(ひとそれぞれでよくて)私はこういう悲しみと諦めの果ての暖かさのような物語は、たしかに中央線沿線の高円寺とか阿佐ヶ谷とか荻窪とか西荻窪とか吉祥寺の街ならば、めそめそせずに、たくさん「秘めている」ように感じる。中央線沿線の街にも井の頭線沿線の街にも小田急線沿線の街にも住んだことはなくて、もう住むこともたぶんなくて、だから叶えられなかった希望の一つだった。西荻窪にはもう他界して何年も経ってしまったが、母の方の祖父母が住んでいたことがあった。私が15歳くらいから33歳くらいのあいだだったろうから70-90年代に。それまでは群馬県M市の病院の官舎に住んでいた。祖父は雷が大嫌いで、夕立が来ると、テレビのアンテナ線を外してから蚊帳を吊ってその中に避難していた。あれはどういう科学的根拠があったのだろうか。西荻窪のマンションの小さな3Kの家でも、そうしていた。

例えばこのブームの曲に歌われた物語を映像として頭に浮かべるとき、中央線は写真のようにオレンジ色であってほしい、と思う。流れ星が落ちた方向に住んでいる君の家に行く夜、乗るべき電車はステンレスカーであってはならない・・・感じがする。