海沿いの道

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写真から推測されるのは鎌倉の海で、たぶん80年代か90年代。自分のネガケースに入っていたネガにあった写真だから、自分が撮ったんだろう。誰かと一緒だったのか、ひとりで歩いていたのか。季節はいつなのか。なにも覚えていないけれど、写っているいすずジェミニかな、車はドアミラー以前の時代だ。いや日産サニーだろうか。

4月か5月か、NHKテレビで北欧の建築家6人がそれぞれ自分の自宅を紹介する番組全六回が放送された。最近になって録画していたそれを見たが、それぞれの建築家によってたてられている家は、当たり前だけど全然違う。しいて言えば、家の周りの自然を意識すること、それとどう接するか、その接し方のコンセプトに忠実に接せられるように家が造ること、そこに注力しているのが共通点だろうか。そして、見終わって自分でちょっとびっくりしたのは、その六人の建てる建築のどれが自分が好きかと自問自答してもそこに嗜好というものがなにも発生していないことなのだ。どれもみな素晴らしい、ただそれだけなのである。自分になにも欲がないのか茫然としているのか。

大学生になるときに建築家を目指して建築学科を選ぶ学生がいて、それでは彼らが建築家を目指すことになったきっかけとは何だろうか。少なくとも私には建築家になることを検討したことすらなかったな。

私は機械工学精密学科卒です。きっかけは小学生の頃かな、父が機械式腕時計(当時は電子式の時計などまだなかった)の裏ブタを開けて小さな歯車がたくさん動いているその機構を見せてくれたことで、ときどき父にねだってはその機械を眺めるのが好きだったことと、そのうち、これも父の影響でカメラを趣味とするようになったことと、さらに付け足すと、父が使わなくなったあと私がしばらく使っていたオリンパス35S2.8カメラが壊れてしまい、それを自分でばらして直そうとしたら、直るどころかダブルヘリコイドのレンズ繰り出し機構を再組立てすることが出来ずに諦めた経験があって、これらのエピソードを通じて精密機械をいつのまにか目指していた。だからその学科を選ぶきかっけはこのようにちゃんと覚えている。

それはそれでその後の人生を決める学科の選択で後悔はないけれど、でもいま自分が高校生でこれから大学およびその後の人生につながる学科を選ぶことが出来たら、今度は建築学科など学んでみたいものだ、と、ふと思ったりするのだった。

小学生中学生の頃はよく秘密基地を作って遊んだもの。一番簡略な秘密基地は大きな八つ手だか紫陽花だかの、傘のように茂って張り出した葉の「裏側」に葉を天井にして、主たる幹(茎?)を中心の柱としたような子供が入れる隙間がある、そこを利用した基地だった。そこに隠れて友達とあれこれ話したり、持ち込んだ本を読んだりした。近くの総合病院の敷地内にあった広っぱに大きな穴(直径5m深さ1.5mとかの)が掘られ、そこに落とされた針葉樹(たぶんどこかに針葉樹の並木があってその手入れが一斉に行われたのだろう)の枝がたくさん放り込まれていた、その枝の隙間から穴に降りていくと、枝がぐちゃぐちゃに組み合わさった中に何か所かぽかんと開いている空間があって、そこには枝葉の隙間を通過してきた日の光が木漏れ日のように揺れていた。それもなんだか極上の秘密基地だったな。さらに二歳か三歳年上の中学生になったばかりの子供会の「先輩たち」が、子供が造るものだからたいしたものではなかっただろうが、ツリーハウスめいたもの、樹上の秘密基地を作った、その基地に登らせてもらったときはこの場所は夢のようだと思ったものだった。どこかで拾ってきた厚めのべニア板を枝と枝のあいだに渡して釘で止めて床を作ったような基地だったのだろう。

秘密基地作りの延長で建築家を目指す人もいるのだろうか?

写真に写っている国道134号線は、いまもこの鎌倉のあたりは片側一車線のままで、よく渋滞をしている。小津安二郎の映画に出てくる国道134号線にはまだほとんど車が通っていない。早春だったか晩春だったか、どっちかな、いやそれぞれにだったかな、国道134号線をサイクリングで鎌倉から茅ケ崎まで走るエピソードと、休日に会社の仲間で国道134号線をハイキングをして抜け駆けした?二人がトラックの荷台に乗っかるようなエピソードが、あった気がするな。映画に映った国道は未舗装だった。映画は1950年前後に撮られたのだろうか。

今も渋滞している、上の写真でもたぶん渋滞しているその車の列を見て「まるで工場のラインに戻ったようにのろのろと進む車」と言う比喩を思いついて、この比喩はなかなかいいじゃないか!と思っていたことがあった。この風景はもしかしたら車のミラーの位置が一番の違いで昔も今も大して変わらないかもしれない。でもこの写真に写った場所の周りにあった光景を思い浮かべると、例えば稲村にはパブロアバレー教室の建物が残っていたがいまはもうない。長谷駅まで通りを海の方に歩いた突き当たりには古いホテルかな?が建っていたがいまはもうない。その長谷駅近くには長谷書店という本屋があったけれどいまはたぶんない。写真がきっかけになって周りの街を思い出すとずいぶん変わったところもあるものだが、変わらないところもあるだろう。

毎日毎日寄せてくる波は変わらず寄せてくる、とも思う一方で、その形が幅数メートルに亘って完全一致する波は何億年さかのぼっても一つとしてないのだろうなと思ったりおする。

上の写真を撮ったときの機材はキヤノンF1にFD35mmF2を装着したカメラか、あるいはライツミノルタCLにMロッコール40mmF2を装着したカメラだろうか。キヤノンF1はボディに耳をくっつけてシャッターを切るとシャッキーンと言う音のあとばねがはじけたような音の余韻がしばらく聞こえた。ライツミノルタCLは下にスライドしてボディから離れてしまう裏蓋がちょっと不便な感じだった。