先生のよび名

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父のアルバムをめくってみたら昭和18年春小石川運動場運動会と言うページがあり、そこに小さな写真~L版の半分の名刺判より小さいくらいの写真~が何枚か貼ってあった。ひとつには二人の男が写っていて万年筆でクロペンとスッポンと書き添えられていた。父は旧制中学の学生だったと思われ、推測するに学校の先生二人を撮ったものだろう。でもお二人はこちらに向かって記念写真風に撮られているわけではなく、なにか向き合ってに話しているところだ。いわゆる速写=スナップしたような感じだが、当時の中学生がカメラを学校に持って行ってこんな風に写真を撮る機会があったのだろうか。夏目漱石の坊ちゃんに登場する先生たちは赤シャツとか山嵐とかうらなりとか野だいこだった。クロペンとスッポンがそこに加わっても呼び名の「感じ」としては違和感がない感じがする。例えばサッカーの少し前の代表監督だった岡田さんはオカチャンと呼ばれていたし、いまの森保一(もりやすはじめ)監督は苗字の保の字と名前の一をくっつけてポイチと呼ばれているが、上記の小説坊ちゃんや父のアルバムに書かれた呼び名にオカチャンとポイチと言う名前由来の呼び名を混ぜると、呼び名の由来の面白さに欠けるんじゃないか。これも風貌や仕草や性格をちゃかしてはいけないなんていう今の時代には仕方がないことなのかな。クロペン先生はもしかしたら黒田さんとか黒岩さんとか黒沢さんだったかもしれないけれど他の先生方が青いインキのペンを使うなかで一人黒インキを使うところに由来があったかもしれない。スッポン先生は噛んだら離さないスッポンの特徴を当てはめているとするとなにかとことん教えるような生徒から見るとしつこく映る熱血先生だったかもしれないし、あるいはスッポンがエネルギーの源の比喩だったとするといつも元気な先生だったのかもしれない。ほかの写真にも添えられた書き込みからスッポンは三浦先生の呼び名だとわかった。ほかにも漢文の村野先生はゲンコツで、国語の渋谷先生はオバテンだ。

写真に写ったスッポンの三浦先生は少し下を向いて膝が曲がって重心が後ろにかかっている感じがする。それだけのことでそこから何か推測できるわけではない。でもなんだかこの二人の姿勢から古い時代を感じてしまうが、そんなのは写真が撮られたのが昭和18年とわかっていることから自動的にそう思い込んでいるだけなのだろうか。