夢に出てくる町

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相変わらず古い写真でごまかしていますが、これは2014年8月13日の横浜大桟橋。このブログのその日付の記事があるけれどこの写真はアップしてなかったので、晴れて七年後の今日に使います。でも少しフレアっぽいですね。このころ使っていたのはAPS-Cサイズセンサーのデジタル一眼レフカメラで、24mmの単焦点レンズをよく使っていた。フルサイズに換算すると38mmくらい。そのレンズがちょっと曇りがちだったからだろうか?

『昼間は暑かったけれど、夜になり風が気持ちいい。夕方にざっと夕立が通り過ぎたあと涼しくなった。良く冷えたビールにライムを落としてオニオンリングを食べながら飲みましょう。正面には横浜みなとみらいの観覧車や帆の形をしたホテルや背の高いランドマークタワーが見える。それにしても船の汽笛というのはなんでこんなに寂しげで、そのくせなんでこんなに旅へ誘うんだろうか。何か知らないことを知るために旅に出るときは寂しさから出発するのがいい。すると旅の出来事がみな良きものになるよ。。。ねぇ、なにか話をしてくれる?まだ僕の知らない君の冒険の記憶を』

こんな風だろうか。この写真の中に固定された誰かのはなし。

 

昨晩は22:00に眠り、深夜の2:00に目覚めてしまい、3:30ころまで寝付けずにいてそれでも4:00頃から一時間寝て5:00にアラームで目が覚めた。この4:00から5:00のあいだの浅い眠りのなかで夢を見ていたが、なぜか私はたぶん行ったことがないのに「武蔵小金井」にいるのだった。しかしそれは実際にある中央線の駅名だけれど夢に出てくる道筋や駅前ビルは架空の町だろう(だって行ったことがないのだから)。なにか古い店がたくさん入っている雑居ビルが駅ビルでそこの店をいくつか見て回るのが楽しいのだった、夢で。そして楽しく歩き回っているのだが、ふと気が付くとマスクがなくてどうやらマスクは気を付けていないとすぐに外れてしまう。だからマスクについては注意を怠らないようにしましょう。などと思っている短い夢。

その夢からアラームで覚めて目覚めてすぐにカーテンの隙間から外を見たら、世の中が山吹色の光で満ちているのだった。それだけのちょっとした非日常で朝が少し楽しい気分になるのだった。会社に行くために車を運転しているときにAMのNHK第一放送を聞いて行った。日によってくるりを聞いていく日とラジオを聞く日にわかれるのだ。今日は何の日というコーナーがあって今日と同じ8/19、過去の19××年や200×年の8/19になにがあったかを教えてくれる。たいていは、へぇ!そうなんだ!と思うが、すぐに忘れてしまう。上の写真を撮った日時はEXIFデータに書き込まれているから写真データから画像をモニターに展開表示するソフトであればどこかにその情報も出ていることが多い。あるいはサムネイル画像を右クリックすると出てきたり。するとこの写真が2014年8月13日の夜19:50の32秒に撮られたものだとわかった。19:50までならとくに気にもしなかっただろうが秒まで書いてある。そこまで正確に過去の時を確実に記録してあるのがなんとなく50分までで終わるのと違って心がざわつくのだ。過去に流れて刻まれてそこを過ぎてきたに決まっている時間ではあってもそこに秒まで表示されると妙にリアルに過去にその時刻があってそこを自分は写真を撮りながら通過してきたんだというリアルな感触を覚える。そして50分までではなくその秒単位の過去の時刻に、ではではAさんやKさんはなにをしていたのか、BさんやNさんはそのときなにを考えていたのか。分でなく秒を意識することでそういう過去にあった一瞬にだれだれがどこでどういう一瞬を構成(?過ごしていたか?迎えていたか?なんか言い方が難しい)していたのか?そんなことはこうして写真に痕跡が残される場合があるもののほとんどはどこにも残されないまま忘れてしまう。残らなかったAさんKさんBさんNさん・・・のその過去の一瞬のときのこと(状況)をタイムマシンに乗ってそこへ行かなくてもいいけどせめてタイムマシン鏡のようなもの(ユーミンの魔法の鏡が時間も越えられるような?)で見ることが出来たらいいのにな。と、秒まで記録されている写真データに気づいたせいでそんなことを思うのだった。

きっと愛しく思うのだろう。