Google Street View に残っていた城ケ島京急ホテルのレストラン

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十年くらい前かな?ダグ・リカードはじめ何人かのアーティストがグーグルストリートビューで世界の道を辿りながら、その自動撮影カメラが残した映像から、あとから写真家(選択者)の主観で決定的瞬間を探して集めた写真集が現れて、それが多くの美術館にも収蔵されましたね。その頃からよくファウンド・フォトという単語も聞くようになりましたが、写真を撮るのではなく撮られた写真から「選ぶ」「集める」という行為も表現者のやり方のひとつと認めるのは、私は最初だけ違和感があったけれどやってみると面白いし、やはりこれも主観に基づく選択という個人の行為であり、たしかに表現者のやり方のひとつとして当然あってよいなと思ったものだった。その頃よりだんだんとストリートビューの解像度や画質も上がっている感じがするし、大都市などではけっこう頻繁に情報が更新されている感じがする。

久しぶりにそんなことをしてみたのだけどそういえば城ケ島の京急ホテルはもう閉館したと聞いたか読んだかしたことがあったのでPCモニター上で行ってみた。ここはこの写真の背中側が磯浜で西日が差すとロマンチックな風景になる場所です。すると、ストリートビューでは閉館後のホテルにまだ更新されていなかった。それでキャブチャーしたのが上の写真です。撮影は2014年と出ているのでずいぶん長いこと更新されていない。写真に写っているのはホテルのレストランだろうか?それともホテルに併設された一般客も入れる喫茶店なのかしら?店内のお客さんもふた組?海が見えるこちら側の席に座ってる。

城ケ島京急ホテルのことを調べてみたら1965年築。2020年閉館。跡地には「ふふ城ケ島」という新しいホテルが建つそう。ふふ××というホテルチェーンは最近ときどき聞く名前。

自分が撮った写真ではなく自分が選んだ写真だけど、なんかいいですね!と思う。自動撮影でもいいなと思う瞬間があることが写真というものに写真論が生まれて写真てなんだ?と考えてしまうひとつの特徴なんだろうな。だってちょっとウィリアム・エグルストンぽくないでしょうか?その「ぽさ」がどこから感じるのかも簡単にはわからないけれど。なんか自分が撮ってこのブログにぽつぽつと載せてきた写真より自動撮影が残した写真の方がずっとクールじゃないか・・・

グーグルストリートビューは一回は固定されたいつでもある映像のようだが、数年にいちど告知なく更新されていくのであれば、やっぱりモニターに現れる画像という風景は「いつかはなくなり変化する」宿命にあり、ということはそれをこうやってキャプチャーするのはやっぱり写真そのものとも言えるのかもしれない。