あの頃の一日

f:id:misaki-taku:20210905190121j:plain

夕方、自転車で海まで行ってみる。ゆっくりと漕いで行ってみる。昨晩は雨が降っていた。9月に入ったばかりなのにもうすっかり涼しくなっている。暑さはぶり返さないのだろうか。例えば2010年の9月は秋分の日までずっと真夏のような暑さだった。

2010年の秋分の日の前日の夜、暑い夜に、写真同人ニセアカシアの仲間三人が当時宇都宮市に単身赴任していたわたしのアパートに遊びに来て一泊した。その翌日に益子まで遊びに行ったのだが、その益子に行った日が突然寒い日に変わり、それはたしか秋分の日だった?前日まで真夏の暑さだったので、みなTシャツ一枚くらいの軽い服装で宇都宮にやって来たから、益子に行った雨の日はみな羽織るものも持っておらずずっと寒かった。私はアパートに長袖のシャツやカーディガンがあったからそういうのを着たけれど、みんなに貸そうにもサイズが小さすぎた。益子へは宇都宮線水戸線真岡鉄道と乗り継いでいき、帰路は東野交通のバスで宇都宮駅まで戻った。駅近くの居酒屋でニセアカシアの話し合いが進み、翌年、2011年の1月かな?ニセアカシア1号の発刊に漕ぎつけた。あの居酒屋での会議できっと日本酒を飲んであれこれ食べたのだろうが、なぜだか茸を食べた記憶があるのだ。(とここまで書いて、ではその日の写真を見なおしてみようと思います・・・いま古いHDDをつないで調べた。)たしかに居酒屋で撮った写真が四枚か五枚あったがみなメンバーを撮ったものでテーブルの上にはすでに食べ終わった皿だけが写っていた。茸をたべたかどうかわからなかった。とっくりがあったから熱燗を飲んだらしい。写真に写ったMさんもHさんもIさんも十年くらい経っているけれどいまとあまり変わっていないように見えた。たぶん私がメンバーのなかではいちばん、この十年で老けたのではないだろうか。写真同人ニセアカシアの写真集ニセアカシアは2019年1月に8号が出て以降二年半経ってしまったが9号に至れていない。2019年の暮れに学芸大学の件(くだん)という居酒屋に集まって、そのあとには近くの地ビールバーのような店に移り、9号はこんな風にしようと軽く話した。そのあと2020年になりコロナ禍になり、すっかり進めなくなっている。まぁニセアカシアはコロナ禍が落ち着けばまた発刊できるとは思っている。

いま、若い人たちにはけっこう厳しい日々が過ぎていると思う。だって、振り返ると自分の中学校の三年間、高校生の三年間、大学の四年間と、学校が変わると「区切り」があって、その3年3年4年にそれぞれのクラスメイトたちとつるんだり議論したりあほをしたりして過ごした日々は、その後の十年二十年をひとまとめにしたよりも、その頃の一年、ときにはただの一日がずっと重要だったと思うもの。なにか自分という人間のスタンスのようなものが、他者との出会いでなにが最初にインプットされたかとか、そこからなにが自分の嗜好に合うかが決まっていったとか、それに夢中になったとか、いくら誘われても断ったことがあったとか、そういうことがあの頃には例えばたった一日で決まっていったと思う。このまえ何気なくなにかのコロナ関連ニュースを読んでいたら、それに対する書き込みに「私の高校時代がどんどん残り少なくなっていてコロナが憎い」みたいな主旨の書き込みがあるのに気が付いた。それはそうだろうと思いましたよ。

まぁ、よくわからないのはそんな当たり前の素直な感想に対してなんでイイねの反対のボタン(ブーイングボタン?)を押す人が結構な割合でいるんだろう?ということの方だった。