生姜焼き定食

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最近、大田区蒲田駅近くにある昔からある洋食屋さんグリルスズコウで食べた生姜焼き定食。

今村夏子の「父と私の桜尾通り商店街」という短編集を読んでいます。すごく面白い。生きていくのはああみっともないさ、と吉田拓郎が「おきざりにした悲しみ」で歌っていたな。あいつが死んだときもおいらは飲んだくれてた、そうさおいらも罪びとのひとりさ~って歌詞に続いていた。すべて悪ですべて善で出来ている(出来ているって言葉もおかしいけど悪人とか善人という言葉もあるから)そんな人もゼロではないかもしれないけれど、たいていの人は、すべて悪が真っ黒ですべて善が真っ白というならば、たいていの人はグレーだろう。そしてそのグレーはその人だけが決めているわけではなくて、生きていくなかで誰かと関連をもって、必然的確率で自分に起きる偶然的さまざまな出来事の、その出来事という物語の色合いによって、勝手に塗られる部分もあるだろう。だからどんなときでも味方になってくれる人がひとりでもいればいいよね。なんてことを感じてしまったりする。最初の「白いセーター」という短編も、最後の表題作も。この作家の作品(のうちいままで読んだ数冊)には、朴訥としているというか、真面目過ぎて空気読めないというか、そういう現代を生きるのが下手な主人公が出てくるが、それなのに読み終わるとそういう主人公が強く堂々としているのが心地よい。

グリルスズコウの生姜焼きは写真の通り、すりおろした生姜が肉の上に、感覚的には「塗られている」。最初にこれを食べたときはなんとなく気が動転したようなままさっさと食べきってしまって美味しいのか美味しくないのかわからないままだった。二回目はじっくりと食べてみました。わっ!美味しいと瞬間感じるわけではないですよ。でも食べ終わるとまたしばらくしたら食べに来てみよう!と思うんですね。そういう美味しさです。缶詰のホワイトアスパラにレタスまたはキャベツとトマトが添えられたような懐かしい洋食屋のサラダもメニューにあっただろうか。