曲を覚えたきっかけ

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雑誌ブルータスの前号が「特集/村上春樹(上)」今号が「特集/村上春樹(下)」。住んでいるマンションのすぐ隣のコンビニにいつもは置いてないブルータスが置いてあったので上記の今号を、牛丼とツナサラダとLG21ヨーグルトと一緒に買う。冒頭のインタビュー記事で「ストーンズ派でしたかビートルズ派でしたか」と聴かれて「どっちでもよかった」「ラジオから流れてくるのを聞き流していた」と村上春樹は答えている。

ストーンズ特集のことはぜんぜん記憶にないのだけれど、深夜放送ラジオを聴いていた中学高校の頃、ときどき「ビートルズ特集」と「サイモンとガーファンクル特集」のときがあったのは覚えてます。サイモンとガーファンクル、中学二年か三年のときに当時住んでいた神奈川県平塚市の映画館に「卒業」がかかった。やっと洋画を友達と何人かで、待ち合わせて一緒に観に行き始めたころで、それはちょっと大人に近づいた気分だった。そんなことは数回で、そのあとにはもう一人で行くようになったけれど。一人で行った最初の映画は「ある愛の詩」だったかな。「卒業」は「小さな恋のメロディ」と二本立てだったかもしれない。それで「ミセス・ロビンソン」「スカボロ・フェア」「サウンド・オブ・サイレンス」などを覚えたのだが、その頃にクラスメイトの高橋くん(美声)と安田くん(ギター上手)が二人でサイモンとガーファンクルのコピーをはじめて中学の文化祭で何曲か歌った。対抗は赤い鳥を真似た、山本くんたちの男子3人女子2人のグループの五つの空き缶で、当然「翼をください」を歌っていたが、高橋&安田(彼らにグループ名があったかどうかは覚えていないけれど)の方が断然上手だった。それで、文化祭のあとにクラスのホームルームの時間に彼らは請われて窓を背景に「スカボロ・フェア」を歌った。なんだか逆光のなかでシルエットになっていてカッコよかったな。一方、ビートルズ。同じく中学のときにブラスバンド部だった。二年生の秋の平塚市中学校吹奏楽部合同演奏会で私がホルンを吹いていた吹奏楽部はビートルズ・メドレーをやることになった。小学生の頃からそのメドレーに入っていた「イエスタデイ」とか「ヘイ・ジュード」とか「ハード・デイズ・ナイト」「ミッシェル」なんかは聴いて知っていたが、そのメドレーのなかに知らない曲があった。それがたしか「エリノア・リグビー」と「ノルウェイの森」だった。もしかしたらこんな風にオリジナルではなく自分が演奏に加わった吹奏楽用に編曲されたメドレー曲で、ビートルズに意識的になったのかもしれない。そんなエピソードのようなことがサイモンとガーファンクルビートルズにはあったので、その後、深夜放送でそれぞれの特集の日があると、よく聴いていたんじゃないか。だけどそれまでのあいだにストーンズにまつわるこうしたエピソードが自分には起きなかったので、そういう日があっても聞かなかったか忘れてしまっていたのだろう。ストーンズが「山羊の頭のスープ」というアルバムを出して「アンジー」っていうバラッドが流行ったのは私が高校生の頃だったか。どうしてそんなことが結びついて覚えているのかわからないが、高校には自転車で通っていた、その帰り道に曲がり角で小学生くらいの子供が乗った自転車とぶつかったことがあった。その出来事で「アンジー」が記憶された。子供が転んであわてて止まって彼を起こして・・・なんともなかったからよかったけれど、ちょっと焦ってドキドキして、そのまま帰宅してラジオを付けたら「アンジー」が流れていた、そんな感じかもしれない。でもそのあとにも深夜ラジオで「ストーンズ特集」を聴いた覚えはないです。

いつの間にかストーンズの曲もそれなりに知っているし、アルバムもCD時代以降だけど何枚か買いました。初来日のときにプラチナチケット!を確保していたのに仕事が立て込んで行けなくなった。そんなことで余計にたくさん聴いたかもしれない。先週かな、ストーンズの最新のライブツアーの動画をちょっとYOUTUBEかなにかで見たけれど、亡くなったチャーリー・ワッツの写真を舞台後方に映して、ミックは相変わらずロッカーらしく細い身体で、リズムに合わせて走ったりしているようだった。ストーンズはいつまでも現役のロックバンドって感じがする。

上の写真、京都のどこだったかな、階段の壁に陽だまりができてゆらゆら生き物のように揺れていた。揺れていたから水面の反射だったのだろうか。下の写真は外苑前駅近く。上の写真がストーンズぽいってわけではないけど、下の写真はちょっと後期のビートルズっぽい。まったくもって雰囲気というか感覚の話です。

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