1/11火曜日、雨。冷え込んだ。午前テレワーク、午後は私用で休暇を取得。今日は写真を一枚も撮らなかった。そこでこのブログに載せる写真はどうしようか、と思い、1980年代90年代にポジフイルムで撮った写真を、昨年だったかデジカメで接写して画像ファイルとして保存した、その写真を見直すことにした。銀座にあったキャバレー「白いばら」の写真があった。2018年に閉店したそうだ。ポジフイルムで写真を撮るときには、大抵アンダー気味の露出で撮っていた。だからだろうか、この写真も夜の闇がベースにあって、その暗さを背景にしてネオンサインや黒い車 ~この車の車種はなんだろうか~ が、写っている。最新のデジタルカメラで、最新のLEDランプが多用されているのだろう明るい夜の街を撮ると、夜を背景にした写真にはならないんじゃないか。夜を押しやった明るくて安全でとっても浄化された街が写るんだろう。「清濁併せ呑む」ことが出来る夜と、浄化された安全な夜と。後者を求めることには簡単な理屈で説明がしやすく、定義(規制や規定)に合わないことは排除しても許諾され、説明可能な正義だからよしとされる。でもひとことで言えば「つまんない」かもしれないですね。
谷川俊太郎作詞、小室等作曲、「汽車と川」では、上流では名前もないささやかな川、その川に沿って敷かれた線路を走る汽車に乗っているカップル、その様子が時間(下流に向かう時間)とともに歌われる長い歌だ。
途中抜粋
♪ 汽車は川に沿って走ってゆく 真っ黒な顔をしたちっぽけな汽車だ
けれど川はだんだんおおきくなってゆく だんだん広くなってゆく
川はすっかりおとなっぽくなり 流れかたまで悠然としてくる
おちつきはらってボートを浮かべ 清濁あわせのんでいる
やがて川は海に出る そのとき汽車は港に着く
それから先へ汽車は行けない けれど川はどこまでも行ける
大きくのびをして 川が海へとでてゆくとき
小さなくしゃみをして 汽車は引き込み線をバックしてゆく ♪
「清濁併せ呑む」なんて単語は滅多に見ないし、使ったこともない。谷川俊太郎のこの歌詞では、広く大きくなり、大人っぽくなり悠然とし、おちつきはらって包容力も増し(なにしろボートを浮かべるのだ(笑))、そういう川が清濁併せ呑むのだと。