まずい珈琲とチョコレート

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写真は1990年代に撮った写真です。向ヶ丘遊園地だと思う。12日はほとんど写真を撮らなかったので、こうして古い写真を使ってます。もしかしたらこのブログで以前にも使っているかもしれない。ずいぶん黄色い。どうして黄色いのかはわからないな。この場が黄色いライトで照明されていたのだろうか。このとき私は仕事で向ヶ丘遊園に行き、したがってスケート客などではなく、でもちょっと写真を仕事の合間に撮ったものだろう。カメラはコンタックスTだったのではないか。

読んでいる本は吉田篤弘著の「ソラシド」で、文庫になったばかりだから、当然初読だと思って読み始めたら、すぐに読んだことがあると気が付いた。文庫収録される前に古本屋で買った単行本で読んだってことだろう。既読とわかっても、この先の物語の展開を覚えているかと言えば、なにも覚えていないので、しまった!などと思わず読み進めている。この小説には「まずい珈琲」が出てくるのだった。いまや珈琲はブラックで飲む人がけっこう多いだろう。それって珈琲がブラックで飲んでも美味しいものだからで、むかしは角砂糖やミルクを入れて出来上がる味が美味しいのであって、ブラックの珈琲が美味しい店はそんなにはなかったのかもしれず、必然として普通は砂糖とミルクの少なくともどちらか一つは入れていた。石川セリが歌っていた「ひとり芝居」の歌詞で主人公の女性が別れた男を思い出す歌詞は ♪お砂糖は二つだったでしょ あなたの好み忘れないわ 話しかけても あなたはいない ただ哀しみがこみ上げるだけ♪(最後の歌詞、こみ上げるだったかどうかちょっと自信がないな)。それでもブラックで飲むことが多かったが、味わうというよりブラックで飲むのがかっこいいから味なんてどうであろうがブラックで飲むのだ、という気分でもあった。

いま会社の居室のある階に置いてある自動販売機の紙コップに注がれる珈琲は100円と70円があり、100円には二種類あって、ひとつはエクセルシオールカフェのロゴが使われていて、もう一つはドトールだ。この二つの会社は同じグループなんだろうか。その場で二つを買って飲み比べれば違いがあるのだろうか?そんなことはしないから今日はエクセルシオール、昨日はドトール、と気まぐれでボタンを押すが味の差はそんな風に日を置いてしまうと私にはますますわからない。自動販売機が紙コップに注いでくれるそういう珈琲は、美味しいとも思わない。でも不味いとも思わない。もうなんていうか、どんな味でも、自動販売機で100円使って買った飲み物であって、だから味の意識なんかせずに飲んでいる。飲み切るわけでだから不味いということでもない。そんなものなのに、一日二杯から三杯買ってしまう。

熱い珈琲を口に入れる前にチョコレートを食べ、その甘さが口の中にあるうちに珈琲を入れると口の中では珈琲とチョコレートが溶け合った味が出来る。当たり前の出来事。だけど、そうすると珈琲そのものの味わい方としては邪道かもしれないが、とにもかくにも美味しいんだな!などと気が付いたのはここ数年前のことでそれまでの数十年は知らなかった。自販機の珈琲を飲むときには良き案の一つだろう。だから会社でもときどきダース(チョコレート)の一粒と一緒に飲んだりする。京都のエレファントファクトリーでは小さなチョコの粒が二つだっけか三つかな、珈琲についてくる。

スケートはやらないが、もしスケートをやる人で、疲れたらこういうスケートリンクの見えるあたりの素っ気ない木のベンチに座って、紙コップの珈琲を飲んでみるというのはいいかもしれないな・・・って、これ最初に書いたスケート場の写真のことと、後半に書いた珈琲のことを無理やりくっつけてまとめてみました。