80年代後半のある時期、鉄道写真や動画を記録するのが趣味だった友達(彼は子供の頃からいまもずっとその趣味を続けている)の影響もあり、また、ちょうど日本国有鉄道がJRに変わる頃で、さらにこの写真に写っているEF58型電気機関車が60番台の機関車におわれてその数を減らしていて、そういう背景から少しだけ鉄道写真を撮りに行っていたころがあったが、鉄道写真の王道のテクニックなどなにも知らないままで、車両が電柱に被ったり、シャッター速度が遅くてぶれていたり、編成全体が写るような場所を探すことに努力するなども知らず、適当に撮っては、わ~い!となっているだけだった。この写真を撮ったときのことは覚えていて、写真よりずっと暗く、もう夜の直前の時間だった。臨時の踊り子号だったか別の名前の特急か急行が繁忙期にだけ走り、その臨時便にだけEF58が使われたのではなかったか・・・よく覚えていないけど。EF58は写真でも微かにわかるけど、その顔面にあたるところに両側から回りこんだ銀色の筋が下に向かって、嘴のように正面の下の方でつながっている。比較的長細い機関車で、蒸気機関車の「貴婦人」がC57だとすると、電気機関車ではEF58がそういう感じだな、と思っていた(私だけが思っていたのか、そういわれていることを知って同意したのかは不明ですが)。架線の電信柱なんか画面の真ん中あたりでも色収差でちょっと赤くなっている感じ。暗いから開放で撮ったんだろう。
さて、もっともっと子供の頃、たぶん小学生高学年の頃に、友達と2人か3人で無人踏切で電車か列車かが通り過ぎるのを待っていたことがあった。人だけが渡るような小道の踏切で、しばらく待っていてもなにもやってこない。複線の、上り線路と下り線路だけがあって、そんなの左右を見てなにも来ていなければ、すぐに渡れてしまいそうだ。だけど踏切はカンカンと鳴って、もうすぐ電車か列車が通ると警告をしている。遮断器はない踏切だった。それでしびれを切らした我々2人か3人は、もう渡ってしまおう!と決めて、線路に入って走って渡ったのだった。いけないことですね、いまだったら監視カメラに映像が残り、人立ち入りセンサーにより電車か列車は緊急停止して、えらい大騒ぎになる。そのとき、無事に渡り終えたから結果オーライだったのだが、実は、しびれを切らして踏切に入ったそのときに、結構近くまで接近している機関車が見えたのでした。それが通称「青大将」と呼ばれている色に塗られたEF58だった、その映像は、消えかかっているもののぼんやりとはまだ覚えている。
小学生の六年の頃に当時住んでいた平塚の駅から電車で三つ、大船にある塾(もしかすると毎週行われているような模擬テストだったかも)に短い期間だったけれど毎週土曜の午前に友達と一緒に通っていた。上記の青大将EF58の思い出の友達とは別の友達。たいてい行きに乗る電車と帰りに乗る電車が、平塚駅8:30発とか大船駅11:00発とかいうように決まっていた。そしてその帰りの電車は途中で必ず貨物列車と並んで走った。その貨物列車はEH10型という武骨い、黒い車体に黄色い線が入った大型機関車がけん引をしていた。機関車と並走することが嬉しいわけでも特別なことでもなんでもないが、ただ、土曜日の塾が終わった証としてのちょっとだけほっとした気分の、その「気分のランドマーク」となってEH10が走っていた。
この二つの思い出に至っては1960年代後半のことだ。