14年前のスナップ

f:id:misaki-taku:20220304214911j:plain

 今日も5:30に自家用車で家を出て、6:30に会社に到着し、7:00前には仕事をはじめ、今日は残業時間の会議予定がなかったため、渋滞になる前の時刻には帰路につき、ずっと洗車せずに自家用車を薄く土埃が覆っていたところに昨晩の雨が降って、車体が乾くときに付いていた水滴の数だけ埃が水玉(埃玉)模様になってしまったのでガソリンスタンドに寄って洗車をした。あまり減っていなかったが軽油も満タンにした(わたしの車はディーゼル)。ここ数日、通勤自家用車が赤信号で停まったときや、会社の窓から撮った写真をPCに取り込んで眺めてみたが、ブログに載せたい写真は見つからなかったな。

 そこでここ数日と同様、HDDで昔撮った写真を適当に日付を選んで眺めてみる。どんどん年を遡って、2008年の3月に行ってみる。なんだかタイムトンネルみたいな気分ですね。小学校のころ、宇宙家族ロビンソンとタイムトンネルと逃亡者、たぶんほかにも、そういうアメリカ発のテレビ番組が日本の民放でも放送されていて、それらが放送された翌日の小学校では、みんなでその話をした。タイムトンネルはどの時代に行かされるかわからないというのが怖かった。あの「トンネル」がプラモデルになっていて、買ってきてセメダインの匂いを漂わせながら組み立てたこともある。どうもタイムトンネルとかサンダーバードの基地とか日本の城シリーズとか、ちょっとマイナーな感じのプラモデルを作るのが好きだった。タイムトンネルみたいな気分、そこに写っている街がどこで、どこをどう歩いて、その日の気候がどうだったか、なんとなく漠然と、あるいは写真に誘導されて新たなまがいものの記憶が出来上がるのかな、かき集めてやっと少しだけ残照が残り香のように、そこへ行った日が過去にたしかにあったということが感じられる。だけれども写真に写っているひとつひとつの主被写体なんかなにも覚えていないから、その微かな確証がガイドブックだとすると、写っている写真は、そこをいま再訪して、はじめて見ている光景のようだ。すなわちタイムトンネルを通過していまはじめてその過去の街へ旅をしているようなのだ。

 700万画素のコンデジを使っていた頃だった。私は藤沢の町で階段の上にいる黒猫を見つけたらしい。そして小田原のお城の近くの小さな動物園(と呼んでよいのか?と思うほど鄙びている動物舎)で鹿を撮ったらしい。もう誰が撮ったのかなんか関係なくて、上記のようにはじめてそこに行くような気分なのだ。ここ14年のあいだに生まれた若者や、書かれた小説や、歌われた歌が、まだなかった2008年。当たり前だけど不思議なことだ。それぜんぶ時間ということ。

 それから五年前、十年前、十五年前、の3月は今年よりずっと暖かそうで、ずっと明るくて、ずっと楽しそうにも見えたが、こんな風に思うのは今の私の気分のせいだろうか。

 

 戦争、終われ!

f:id:misaki-taku:20220304215206j:plain