3月の暖かい日曜日の夕暮れ時に

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 暖かい日曜日。日曜日も夕方になると、明日から始まる平日(仕事や学校)がちょっと憂鬱になり、日曜日という特別な日が名残惜しくなるものだ。いまはそれほどでもないけれど、若い頃はけっこうおセンチな気分があった。二十代三十代の頃は、お盆休みやゴールデンウィークの連休が終わる頃にはひどくナーバスになり、お腹を壊したりしていた。

 日曜の夕方に砂浜に行くと、自分の知っている人はそこには誰もいなくても、人が集まっている。その同じ場所にいるだけで、自分の心には、一人きりの哀しい気分を一方では楽しめる余裕が生まれる(もちろん、余裕が生まれるとさすがにお腹を壊したりはせずに済む)。そんな風に感じられるようになってから、それを自分では「雑踏のなかの孤独」とか言っているのだが(でもこの写真の感じは決して雑踏ではないけれど)、その「雑踏の中の孤独」が好きになった。もちろん誰かとの二人旅も、もっと大人数での旅も、それにはそれぞれの楽しさがあって待ち遠しいけれど、一人のときに「雑踏の中の孤独」を味わうのも自分には必要なことのようだ。そして、こんな観光地でもない、茅ケ崎ヘッドランドビーチに集まって来るのは、その多くが地元の人たちで、なかにはわたしのように一人で来ている人も多いようだ。それから犬を連れている人も大勢いる。自分はいまはペットは飼えないマンション暮らしだし、子供のころも隣のWさんやその向こうのTさんや、父の勤めていた病院の「社宅」には犬がたくさん飼われていて、誰かの家の犬が吠えるとそれに呼応してあちこちから犬の声が聞こえることもあったが、私の両親にはペットを飼いたいという思いはなかったらしく、一度も犬や猫を飼ったことがなかった。海の比較的近くに住んでいて、犬を飼っていて、日曜の夕方に犬を連れて砂浜に行くというのはだからやったことがない。そして、もっと酒が強ければ良かったなあ(ほとんど下戸)というのと、もうひとつが、犬を飼ってみたかったなぁというのが人生において多くの人が達成しているのに達成できなかったこと、なのかもしれない。犬連れの人を見ていると、犬仲間がいらっしゃって、普段の交流はなくても日曜日の砂浜でだけはちょっと話す、なんていうのもあるようだ。そういうのも羨ましいな。

 写真は空が真っ白に飛んでいて、写真テクニック的にはあれこれと指摘されそうだ。RAWで撮って空と下半分を分けて全体にダイナミックレンジを広げて(諧調を豊かにして)とかなんだかんだ。でも何十年も砂浜で同じような、人が点在する写真を撮ってきて、写真によっては空は真っ白でいいと思う。空が白いのが気分を休めてくれるようで。だから白く飛んだ空は私の抒情的な風景なのかもしれません。