鳩と亀

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 午前、亡父の墓参に行き、その帰り道に東海道線平塚駅西口前の駐車場に車を停め、ひとつきほど車に積んだままになっていた手放す本を、近くのBOOKOFFに持って行った。見積もりまでしばらく時間が掛かるというので、街を散歩して途中で昼飯でも食べようと思い立った。前にもこのブログに書いた通り、幼稚園から小学校中学校高校とわたしは平塚市の学校に通っていた。少し前の曇りの日に平塚市の北口に広がる商業地区、紅谷町と呼ばれる通りや旧国道一号線沿いや新仲通沿いを歩いたのだが、そのときは、あまりに寂しくさびれた感じがしたものだった。そこは私の小中学校の学区で、紳士服や女性服や眼鏡屋や八百屋や魚屋や床屋や米屋や落花生屋や雑貨やさつま揚げ屋・・・そういう商店の子供たちが友達(あるいは隣のクラスの名前と顔だけ知っている子)に大勢いた。でも1972年頃かなぁ、平塚駅に駅ビルラスカが出来たことがきっかけだったんだろう、すっかり人の流れが変わり、いまはその商店街はさびれた感じで行き交う人も少ない。ラスカが出来る前には、商店街と小さな地方デパートではあったけど梅屋と長崎屋という二つのデパートもあり、そのデパートと商店街が共存していたと思うし、なにより多くの人がそこを歩いていた。少し前に歩いたときは曇りだったから、今日は晴れているので、そのさびれた街の見え方が変わるんじゃないかと思ってまたそのあたりの路地をしらみつぶしに歩いてみる。同級生がいた店もいなかった店も、当時と同じ屋号で同じような商売を続けている商店はもちろんある。生花の花長とか、酒屋の亀屋とか、田中紙店は文房具を売っている。よくよく見ていくと駅に近い紅谷町は駅に近いところからチェーンのファストフードの店が並び、奥に進むと、むかしはこんなにはなかったよなあ・・・風俗の店ばかりだ。長崎屋の近くにはさくら書店の紅谷町店があったけれど、いまはさくら書店はラスカ店だけになったのだろうか。そして晴れていることに陽の光の力を借りて、少し前の曇った日よりは街に活気が見えるのではないか?と期待したが、なんだか白日の下に寂れた様相がさらけ出されているみたいだった。1966年の日本映画、内藤洋子主演の「あこがれ」には、人々が大勢行き交って買い物をしているこの商店街の様子が映っている。あの活気が懐かしい。駅近くの昔からあるとんかつやさんで串カツ定食を頼む。頼んだ後でほかの常連の客を見ていると、皆AセットとかBとかCとかDとかのミックスフライ(AからDはフライの組み合わせが違う)を頼んでいて、その人たちの食べているフライのなかでも海老フライが大きく目立っていたから、しまった!海老フライを食べれば良かったな、と思った。やって来るのは私よりさらに年配の常連客ばかりで正午には席が半分くらいは埋まり、ほとんどの方がビールを飲み始めた。店の自動ドアを入ると、左側にカウンター席が奥まで続き、右側に四人席が三つだったかな四つかな、あり、突き当たりの右奥がトイレで左奥は座敷席。厨房はもちろんカウンタのさらに左側にある。カウンタ席は六席くらいで、奥から一つ手前に座った。もちろんアクリル板でコロナ対策の仕切りが立っている。右の四人席の一番奥とトイレのあいだはちょっとした棚かなにかで仕切られていてその棚の上にこの上の二枚のうちの下の写真の水槽が置かれていた。客と店の方がワニガメについて話しているのが聞こえた。このカメは26年もいるらしい。26年前は1996年か。そのときの自分の暮らしや環境を思い出そうとする。ちょっと前のようでもあり、すごくむかしのようでもある。少なくともデジタルカメラはなくてフイルムカメラで撮っていたが、毎日、カメラを通勤のカバンに入れて、いちにち一コマ以上は写真を撮っていた。いまもむかしも同じような写真を。このワニガメは、この水槽から外に出ることはないのだろうか?外に出ないとしてこの水槽だけが彼(または彼女)の世界すべてだったとすると、それで健康は維持されるのだろうか。あるいは彼(または彼女)はここにずっといてつまらなくならないのかな。いや、こんなのは人間の傲慢な思い付きの擬人化に惑わされた推測で意味なんかないか。。。ワニガメは26年、通ってきた客たちを見続けることで、そこから世界のありようを知って行った、なんて書くとチープなおとぎ話だな。上の上の写真は商店街のなかで見つけた公園のなかの砂場を仕切っているフェンスの、そのフェンスだけだと味気ないとどなたがが思ったのか、そこに置かれた鳩のオブジェ。いや、もしかすると鳩のオブジェが先にあり、砂場を作るときにフェンスを、この鳩を残して作ったのかもしれない。鳩にももちろん陽が当たり、白いからだろうか、ここだけは妙にのんびりとしていて、私は四コマか五コマ、鳩のオブジェの写真を撮ってしまった。でもね、この寂れたなあ・・・なんていう印象も通過者が過去の記憶と照らし合わせて安易に決めつけているだけなのかもしれないな。鳩と聞いて思い浮かべるのはそれこそ1960年代に流行ったザ・タイガースの「廃墟の鳩」って反戦歌だ。