珈琲飲みながら二十歳の頃のことを

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 写真は十五年以上前の東京駅前、いまは商業施設Kitteになっている東京中央郵便局の建物だと思います。(26日に追記。どうやらそうではないようです。東京中央郵便局の画像を検索したら、こんな上が半円の窓とかないし、階数も違う。)

 金曜日は会社からの帰路がいつも以上に渋滞しがちなこともあり、朝の6:30から夜の19:45まで仕事をしてから、夜の19:55頃に自家用車で会社を出たが、それでも横浜新道戸塚料金所の手前から、料金所を越えてずっと、のろのろとした渋滞だった。今朝は3:50に起きたから、ずいぶん長いこと起きている(いまは23:43)。いまも年度末になるとあちこちで道路工事が行われるという傾向はどうやらありそうですね。今日も何か所かで工事をしていて、それも渋滞の原因だったようだ。

 中学の3年のときに担任の先生が、いちど徹夜というものを経験しておくと、なにかのときに焦らずに済むし、自分の体力の限界がどうなるのかも知ることができて、その後の役に立つぞ、とおっしゃった。私はそんなことは試さなかったし、試しても結局は眠ってしまったに違いない。ところが、しばらくして同じクラスの女子生徒の誰かが、先生に、徹夜をやってみた。朝を迎えるまで起きていた。その翌日の昼もちょっと疲れたけどなんとか乗り切ったが、夕方になり早々に眠りこんこんと寝てしまった・・・だったかどうかはよく覚えていないけれど、そういう体験談を報告していたのを聞いて、なんだかすげえなぁと単純に思った。

 話が変わるけど、写真を見ていて郵便局つながりから手紙にまつわることを思い出した。1970年代後半、大学生だった頃は、高校の同級生の何人かは全国のあちらこちらの大学に通うために引っ越し、わたしもその一人で名古屋に四年住んだわけだが、何人かは地元から都内の大学に通い、そういう友人たちとのやりとりは電話など滅多にせず、手紙のやりとりだった。郵便ですよ、ポストに投函するやつ。そんな手紙で、某友人が、当時二十歳前後の私とその友人が手紙でやり取りをしていて、くりかえすがその某友人が、あと四十年五十年たってお互い老人になった頃にどこかで珈琲飲みながら、いまの(二十歳の)自分たちのことを思い出話として懐かしむ、そんな日がやがて来るよなあ・・・と書いて来たことがあった。そのときは、なにを馬鹿なことを書いているんだ、と、まるで自分が老人になんかならないような、そんなにたくさん時間が流れた将来のことなどまったく想像できずに笑っていたものだった。でも、ふと気が付くと、その「予言」のようになりつつあるのだな。なんだかびっくりだ。時が早く流れるのか、時が遅く流れるのか、どっちかわからないけど、とにかく時がたくさん流れている。

 というわけで本日は碌なことを書いていませんが、寝ようと思います。