東京駅から神保町

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  谷川俊太郎の「日々の地図」という詩集の最初に収められている「神田讃歌」。この詩を二十年か三十年か前、初めて読んだ。あのお茶の水駅から明治大学山の上ホテルを右手に見て坂を下って行き、神田神保町古書店街に入り、探している本が見つからないまま彷徨い、知らなかった本をふと手にして捲ってみてなにか雷で撃たれたようにざわざわとその出会いに震え、ガラスケースの奥に飾られたとんでもない価格の付いた本や写真やポスターを眺めては驚き・・・という休日の神田神保町巡りの一日が、年に一度か二度か、その程度でもそういう休日の過ごし方をしていたが、「神田賛歌」を読んでから、なんだか神田神保町の神聖さ、場所に宿る若い世代が残していった夢の地層のようなことに意識的になった・・・なってしまった。

『その街で時代の歌を聞いた

 その旋律は今も路地にただよいつづける』

私にとっては浮かぶ曲はディランだったりCSNYだが、世代が違えばPPMだったり高石友也だろうし、U2かもしれないし、ザ・スミスであり、ブラーやオアシスだろうか。

 東京駅から神保町まで歩いてみる。東京堂書店で、もう積ん読タワーが凄いことになっているのにまた3冊の文庫本を買ってしまったな。東京駅丸の内前の広場に出ると、三階建てに戻され屋根の形も復元された東京駅舎と、表層だけ保存された中央郵便局と、その向こうにニョキニョキと立っているどれもがきれいな直方体でガラスできらきらしていて、無個性に見える(素人には)オフィスビルが見える。「神田賛歌」のように街に人々の思いが蓄積されて、その思いがいまその街を行き交う人々にも引き継がれることによって、その地名が生き続けるためには、坂道があってカーブの道があって、そして建物は画一的ではなく人と同様に建物の個性もあるべきではないか。東京駅舎や中央郵便局のように。

 だけどこの下の写真、ビルの向こうに飛行機が飛んでいたからそれを撮ったのだけれど、あとから写真を見返すと、最上階の窓にも一つ一つカーテンらしきものが見えたりなにかが置かれているものが見えたりしている。すると、そのオフィスビルとは言え、その部屋に入ることが出来る人は限られていて、その限られている人たちは、会社の無機質な戦略や戦術やらを遂行するにあたり、無機質とは程遠い議論があり、同意や反論があるのだろう(あたりまえだけど)。そう思ったらちょっといいじゃないか、この時代も、と思ったりできた。

 一番下の写真は神田共立講堂です。1980年代に二回か三回、ここが会場だったコンサートに行ったことがあるのだが、それが誰のコンサートだったのかが思い出せない。共立講堂と言えば、吉田拓郎のエレック時代のライブ盤がそこで録音されたものだった・・・かな?

 もしかするとフュージョン音楽が流行していた頃にネイティブ・サンをここで聴いたのかもしれないな、と思って調べてみたが、よくわからなかった。

 今日の昼は神保町のエチオピアで辛さ5倍の野菜カレーを食べました(5倍は辛口程度でとんでもなく辛いわけではないですよ)。

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