ガソリンスタンドや飛行場

28日月曜日。都内のソメイヨシノは満開に。朝6:30前に会社に着き、コンビニのビッグ豚汁を食べつつメールチェックから仕事を開始。夜7時まで仕事をして、帰路に。ガソリン(ディーゼル車なので正しくは軽油)がずいぶん減っていたので会社近くのガススタンドに寄った。7時まで残業すればもう帰り道の渋滞は解消してるとの読みが外れ、横浜新道は今井から先、戸塚料金所を越えたあともずっと渋滞していて、帰宅したら9時にならんとしていた。

 帰路途中で買ったケンタッキー・フライド・チキンのカツサンドコールスローサラダ食べながらテレビのドラマ「ミステリと言う勿れ」最終回を観たけれどなんかよくわからない終わり方で、ミステリでこういう感じのときは、自分が過去の話を覚えてなくて、すなわち伏線を忘れていて、物語について行けなくなったオチコボレ感に苛まれますね。オチコボレていない人には凄く面白かったのかな?どうも複雑に時間が遡ったり戻ったり、伏線が複雑に交錯したり、登場人物が多かったりすると、これは年取って記憶力がなくなるからか、それとも何かを理解するときに理解の深さがどこまで到れるかの胆力のようなことが知らぬ間に落ちていて、なんとなくテキトーになっていることがドラマの視聴を通じて露呈したのか、わからない。

 ところで上記のように、会社からの帰路にガソリンスタンドに寄って軽油を満タンにした。軽油も高くなってた。エドワード・ホッパーが1940年に描いたガソリン・スタンドの絵が思い浮かぶ。あるいは、具体的な映画の名前はわからないけど、ん?イージー・ライダーとかパリ・テキサスとかバッハァロー66とかストレンジャー・ザン・パラダイスとか・・・いやもっと決定的に私のなかの場面の記憶になってる映画があるようだけどタイトルが思い出せない。そういう映画で、ガソリン・スタンドは安全が保証されていない旅、冒険のような気分のある旅への始まりのような(途中の節目のような)重要な「港」だった。そういうふうにガソリンスタンドを捉えているので、街歩きでガソリンスタンドを見ると、ときどき写真に撮ることもある。しかしこんなのは私の世代の、車文化と言うのか、車を持っていることにステイタスがあった頃を知ってるところからの時代遅れの高揚なんだろうか。

 2009年に鎌倉の県立美術館で建築家坂倉準三展を観たときにそこに展示されていた坂倉の設計した出光のガソリンスタンドの写真が複数枚展示されてました。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/storage/jp/museum/exhibitions/2009/sakakura/

この頃のスタンドは多分もうどこにも現存してないんだろうけどかっこよい。かっこよいと感じるのは、上記のような、ガソリンスタンドが旅の出発の港のように高揚した感じがあった、その気分が建築にもちゃんと汲み取られ建物の形に現れていたんじゃないか、と思う。

 写真は文とは無関係の飛行場の写真ですね。数年前。飛行場で飛行機が出発準備をして、いろんな働く車が動き回っているところを見ているのが好きですね。もしかしたらガソリンスタンドに感じるのと同じような期待感のようなものを感じてる。

 春になり旅に出たい気分になってます。