メモの意味が不明なこと

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 スマホのメモ帳にふと浮かんだ物語の断片のようなことや、ずっと忘れていたのに突然思い出したことなどを書き残していた。それがずいぶん溜まっていて、気まぐれに数年前のメモを読んでみると、そのメモを読めばそのときに思いついたことが思い出せるヒントになるはずだったのに、そのメモをいま読んでも一体なにを考えたり思いついたりしてこのメモを書いたのか、それすら忘れているものもあった。もちろん思い出すものがほとんどだったけれど。たとえば、ネタ、と書いてあるメモに「畳の部屋に限って塊になったかた焼きそばを崩して食べることを許せる男」と書いてあるのだが、このメモを何を思って書いたのか、なにか夢でも見てそれを覚えておくべきと思ってメモったのか、なにも思い出せない。しかもいつ書いたのかもわからない。いまの機種に買い替える一つ前のスマホに書いてあったメモを、新しいいまのスマホに買い替えたときに移したのだが、なぜか日付がその移した日になってしまって、最初に書いた日がいつだったかがわからないのだ。たぶん2018年頃だろうとは思うが。それでいろいろ想像してみると。畳の部屋で胡坐をかいて座りちゃぶ台にドンとかた焼きそばが届く。焼きそばは袋から取り出してそれを皿に移し、その段階では鳥の巣のように固い麺が絡み合った塊になっている、そしてその上にもやしやコマ切れの豚肉やニンジンや椎茸やキャベツを炒めてとろみをつけたあんが掛けられている。すなわち出来立てのかた焼きそば。酢をかけまわし、辛子も混ぜると美味しいですね。出来立てのかた焼きそばはぱりぱりと箸で麺を割り崩しながら食べ進むうちに、とろみあんが麺にしみて、麺がくたっとなってくる。このくたっとなった加減のなかにちょうど美味しい食感のあたりがあると感じる人と、あくまでくたっとなる前にあんと硬い麺を一緒に食べるのがよいという人といるだろうけれど、私は前者の食べ進むうちに硬い状態からくたっとなってくるその変化を認識しながら食べるのが好きですね。ま、でも最初はとにかく塊を箸で崩しつつ食べる。というこの塊を崩す行為をするのに、畳の部屋であぐらをかいてすわってちゃぶ台の上でそれをやるのは良し、だけど、洋間のテーブル席ではその行為は許せない、こう感じる男がいると面白い、だからメモを書いた、のかな。あるいはそんな男がいると誰かから聞いて驚いた、のかな。それとも誰かの知り合いもしくは本人がそう言ったのを聞いたのか。もはや思い出せず、メモの文章がメモの文章の役割を果たせなくなったままそこに残された。

 

 今日も唐突に古い曲が頭の中を流れだす夜。今日は加藤和彦の「タクシーと指輪とレストランを」という曲だった。主人公の男は恋人とのデートの思い出を歌う。

 1番で歌われていることの要約。誕生日にレストランを予約しておいた、その誕生日は雨になり、男はタクシーを拾おうと必死に手を挙げるが、なかなかタクシーがつかまらない。恋人は少し風邪をひいているから、タクシーが停まらず、夕暮れの寒い街で長い時間立たせているのは、心配なことだった。せめてと思い、レインコートを肩にかぶせて抱き寄せた。

2番は省略するとして・・・

 3番で歌われていることの要約。ともだちに聞いた評判のレストランに、恋人を連れて行ったが、満員で断られてしまった。どうしたものかと途方に暮れる男に、恋人は「歩きましょう」と言い、2人は指と指を絡ませた。

 そして ♪ふたりの愛が優しく行ったり来たり 若い日の思い出・・・♪と歌われる。

 いまここにこうして書いて思ったのだが、1番ではレストランをちゃんと予約しておいたのに、タクシーが拾えないという不都合が生じている。3番ではこんどはちゃんとレストランに到着したが、(予約してなかったせいで?)満員で断られてしまうという不都合が生じた。なかなかうまくいかないドジな男だけど、その不都合なときに、コートをかぶせたり、歩きましょうと言ったり、そういう慮った行為が発生してそれが「愛が優しく行ったり来たり」だと言うわけだ・・・なんて解説しなくても歌詞を読めば誰でもわかる、安井かずみの歌詞を読めば・・・。思いやる心が胸に溢れている。

 恋人に限らず、国と国であっても、喧嘩しない方がいいですね、思いやればそれが順繰りにお返しの思いやりになれば、憎しみなど消えるのに。

 写真は資源ごみ置き場に置かれていた段ボールです。

 

こんなトリビュートアルバムがあるのは知らなかった。