ユトリロの絵の点景人物

 会社の仲間のIさんが、会社の先輩のMさんから譲り受けたミノルタオートコードという二眼レフカメラ、ブローニーの120フイルムを一本入れると6×6cm版の写真が10枚撮れる、そのカメラが今度はIさんから私に譲られた、それが1990年頃で、90年代の半ばにいちどピント合わせのためのつまみ部分だったかが壊れたが、その時点でもう製造中止になってから何十年も経っていたはずだが、ダメ元で修理に出したら、ちゃんと修理されて戻って来たので驚いた。そのあとはずっと故障せず使っていたが、2006年か2007年くらいにコンパクトデジカメが500~700万画素を越えた頃から、使わなくなってしまった。この写真は2005年の5月に葉山あたりの海沿いで撮ったらしい。写真としては三人のいちばん後ろで大きく手を振り大股で歩いている少年が、向こうのポール?と被っているのがイマイチではある。正方形から3:2の比率に切り出しました。

 例えば17年前、ミノルタオートコードを持って散歩をしているときは、写真を撮ることに熱中していて、さてどこをどう撮ろうかと、きょろきょろと撮るところを探していたと思う。いまは、散歩をしていて、撮るべきところを「探す」のではなく、撮るべきところが「現れたら、受け取る」という感じで差し出されたそこを撮っている。なんて書くとなんだかかっこよすぎですね。

 そんな風に写真を撮ろうという意欲において、いまより熱意があったと思い出せる17年前に自分が撮った写真は、いま撮っている写真とたいして変わらないんじゃないか。むしろ熱意があったはずなのに、写った写真は冷静沈着に見えたりする。

 中学生のときの美術の授業だったと思うがユトリロを習った。パリの街角と、点景で描かれている小さな人物。どんなに小さくても、人が描かれる(と習ったが本当だろうか?)。そしてその描かれる人が、奇数だったかな偶数だったかな、そこにも決まりがあるのだ(と習ったが、本当だろうか?)。宿題でユトリロのような街角の絵を描いてみなさいというのが出て、わたしは父が勤めていた総合病院に残っていた迷彩色に塗られた二階建ての看護学校の建物と、その横の木と、ブロック塀を描いたような微かな記憶があり、そこにユトリロと同様に人物を描きこんだかどうかは覚えていないけれど、ちょっと暗めの水彩絵の具で色を塗って提出した。すると美術の、ちょっと長髪の、男の先生、たしか横尾さんだったと思う、その先生が、とても良いと評価してくれた。描いた絵を褒められる前からユトリロが気に入って、それでその宿題も一生懸命描いたものか、それとも先生が評価してくれたことからユトリロの絵が好きになったのか、経緯はよく覚えていないが、人が小さく点景となって、でも無人ではなく、そういう構図はこの頃から(中学生の頃から)好きだったのだが、それではその好きはいつなにをきっかけけに決まったのかは遡れない。でもこのユトリロが好きといった嗜好が、私の写真にも現れているような気もする。