目の前には、まだ

  早朝、出勤のために自家用車を運転していると、前を走るトラックに×××unyuと書いてあった(×××は苗字のローマ字)から「うにゅ」ってなんだ?としばらく考えていたが、そうか「うんゆ(運輸)」か!と気が付いた。AMラジオでは4/22今日は何の日のコーナーとなり、今日はアースデイで、マザーテレサが初来日した日であり、サザエさんの連載が開始された日だそうだ。今度は よしだたくろう襟裳岬がかかった。たくろうの声はずいぶん若々しく高い声だ。アルバム「今はまだ人生を語らず」に収録されていた。1974年のアルバム。わたしは高校生だった。よく聴いた。このアルバムの一曲目の「ペニーレインでバーボン」の歌詞に、×××桟敷という差別用語があるという理由でずっとCD再発がないから、中古市場でもCDは値が上がっている。先日NHKテレビで川端の「雪国」のドラマを放送していたが、そこでは気×××という単語が何回か使われていた。原作に忠実にするため、云々・・・が許されるなら、拓郎のCDだって聞きたいものだ。

 高校3年の受験を控えた秋か冬、家でイライライライライライラ・・・と思春期をやっていた私は、ものすごい大音量で「ペニーレインでバーボン」をヘビロテしてかけていた。かける、というのはLPレコードに針を落として、再生することであり、ある一曲をLPでヘビロテするのは、いちいちそのたびに針を上げては位置を戻してまた降ろすという行為をやるってことだから、イライラの割には冷静だったのか。二階の自室でそのイライラ爆発行為をしてから一階に降りて行くと、母が烏賊と大根を煮ていた。私がイライラしていることをやり過ごして、怒りもせずに冷静に、母は「食べるか?」と聞いたから、少し小皿に取ってもらったが、なぜだったのだろう、口に入った烏賊があまり美味しくなかった。それで私は口に入れた烏賊をそのまま台所の流しに吐き出して、またなにも言わず、肩をいからして二階に駆け上がった。そのあとまたペニーレインでバーボンをかけたのかどうかはわからない。

 もっと大きなことで母に迷惑をかけたというか悲しませたこともあったに違いないのだろうが、かといって、具体的には思い当たらない。9歳で急性腎炎になったとき、両親は相当心配をしたのだろう、けれど。私自身の言動で、母を困らせたり悲しませたりしたことは・・・実はあまりなかったのかもしれない。だけどこの烏賊を吐き出した出来事は痛恨ですね。ひどいことをしたものだと、後悔する。そのときもしばらくして(数時間?)謝ったのだと思うけれど、もうそのあと五十年近く、あれは申し訳なかったぁ、となにかの拍子に思い出すと、後悔で背中がザワザワする感じになるのだ。

 さて、そんな後悔もあったけれど、このアルバムで歌われる言葉は、

♪今はまだまだ人生を語らず、目の前にもまだ道はなし♪

だ。

 気概としてはいつまでもそうありたい。