波の絵

 在宅勤務の日の昼休み。今日も仕事をするテーブルのすぐ横の本棚に並んだ本から一冊を抜いて捲ってみる。1984年の本、稲越功一村上春樹「波の絵、波の話」。渋谷のパルコの上階だったように記憶しているのだが、この本の出版に合わせて写真展が開催されていたと思う。その会場で本を買った。会場には写真家の稲越さんがいらっしゃって、本を買ったらサインをしてくださった。だからいまも表紙を捲ると少し黄ばんだページに稲越さんが書いたサインが残っている。私の名前に様がついていて、稲越さんの名前が漢字とローマ字で併記されている。と、こう書くとよくあるサインなのだけれど、それが水色の色鉛筆で書かれて、そのとき、洒落てるなぁと思ったのを今も覚えています。もうひとつのその日の記憶、私は何故か稲越さんは大きな方だと思い込んでいたので思っていたよりずっと小柄な方で驚いたものだった。この本はたくさん売れたのだろうか、ときどき古本屋でも見かける。ページを捲ると、儚い陽炎のような、海辺の風景写真が現れる。視線は空や波を彷徨い、海辺の人物は影になったり画面の端っこにそこに人がいることを却って濃厚に匂わせながらも、もう次の瞬間にはフレームアウトしそうな位置に置かれる。グラスの接写があり、人物の写ったポストカードがある。ホテルの部屋から見ろしたようなヤシの葉とその向こうの自家用車のボンネットに日が当たり、超望遠で撮られたビルの灯りがモザイク模様のように哀しく輝く。当時わたしはこの稲越功一の写真にずいぶん惹かれたものだったが、いま40年弱経ってみると、あぁあの当時の写真はこういう感じだったな、稲越さんに限らず、ちょっとこういう感じだったな、と思う。それはリアルタイムではひとつひとつのバンドの個性を聴き分けて好き嫌いがあったのに、いま当時のクロスオーバーというのかフュージョンというのかエレクトリックジャズというのかジャズロックか・・・分類名はどうでもいいけど、そういうのを聴くと、ひとくくりに時代を感じる。それと同じように時代の「らしさ」も纏っている写真なのだった。そして若い頃に好きだったそういう類の写真は、今見ても、とてもいい。

 上と下の写真はその頃に撮った写真のキャビネサイズプリントを持ち出してきてPCの乗っているテーブルのあたりで昼休みに接写したものです。