写真とイラスト・2人展の二日目と、45年前のこと

Chigasaki 2009.02.14.

南風が強い日には潮と砂が飛ぶから眼鏡のレンズがすぐに曇る。それでも、向かい風を受けて、目を細めて、逆光に輝く太平洋を見るのは悪くない。なんていうか、それが湘南だ。

 

Unknown 1990s

この頃は、エアサスのステーションワゴンに乗っていた。水平対向エンジンが低い音を立てたものだ。目の前をワイパーが横切り、すぐに雨粒が落ちてくる。街の灯りが滲む。電波の悪いAMラジオから雑音と共に流れる知らない曲は、たいていカッコ良い。雨の夜の魔法。

 

 上の二枚の写真と添えた文章は本日中日二日目となった「写真とイラスト・2人展」に展示している16点の写真+文章のうちの2点です。明日15日が最終日となりました。木曜日頃の天気予報と違って、昨日金曜こそ雨だったものの、本日は開場する10時と同時にほぼ雨がやみ、晴れたり曇ったりの天気となり、明日も雨の予報は消えているようでほっとしました。私はこのブログの数日前の記事にも書いたように過去事例から雨男と思われますが、車のイラストを描いた江指さんが、昨日「岬さん、実はオレ、晴れ男」と呟いた。そのおかげでしょうか。

 今日も会社の同期や後輩、須田一政写真塾の友人、写真同人ニセアカシアのMさんご一家、高校写真部が一緒だったK君とK君の大学時代の写真部仲間でわたしの友人でもあるM君、ご近所さん・・・来ていただきありがとうございました。K君とM君の大学は愛媛県松山市にあり、1977年か78年頃に、私(当時は名古屋市に住んでいた)は、たしか二回、名古屋から松山まで新幹線・宇野線宇高連絡船予讃線、と乗り継いで遊びに行きました。あれはゴールデンウィークだったでしょうか、徹夜明けだったのか、早朝のまだ暗い松山駅から気動車に乗って宇和島まで行き、バスで小さな港のあるのどかな波のまったくない内海の町まで行ったことがありました。この話もこのブログに書いたことがあったかもしれない。人が記憶している過去のエピソードなんて、たかが知れている数のような気もします。そんな一つの記憶です。K君は小さな突堤で昼寝をして眼鏡の跡が残る日焼けをしました。断片的な記憶しかないものです。バスを降りて、その入江までの道は細くて雑草が繁り、そのなかに打ち捨てられたたぶん赤い軽自動車があったこと。その入江は真珠養殖をしていたように記憶されています。でも社会の授業で習った真珠の産地は三重県だったからこの記憶は間違っているだろうか。眠っているK君のとなりでM君と私は、そこらにあった錆びた空き缶を割りばしかなにかで叩いてリズムを取りながら、当時人気絶頂期だったキャンディーズのヒット曲を思いつくままに歌ったと思います。小さな木の小舟が行き交っていた。いまちょっと調べたら宇和島は真珠の産地ですね、記憶は正しい。真珠貝の貝殻を拾って帰りました。後日、その貝殻でモビールを作ったような気もします。宇和島駅に着いて、バスに乗るまでのあいだに駅近くの文房具の店に行って、便せんと封筒とペンを買いました。突堤で、手紙を書いた。いまぼくは愛媛県宇和島という町の小さな入江に来ています・・・とでも書いただろうか。その手紙を受け取った女の子が、宇和島ってどこだろう?と、日本地図帳を捲ってくれるだろうか、そうだったらいいな、と思いました。当時はもちろんスマホなどないから、どこだろう?を調べるのは地図帳だった。入江から戻って宇和島城に上り景色を眺めました。霞が掛かったようなぼんやりとした遠景。松山までの帰りはバスに乗ったと思います。松山に戻って焼き肉屋に行き、焼き肉より前に生のキャベツにマヨネーズを付けて食べた。

 今日は会場を少しだけ早退させてもらい、そのK君とM君と一緒に中華料理を食べ、紹興酒をちょっとだけ飲みました。驚いたことにみんなに等しく時間が流れ、あの宇和島の日からたぶん45年が経ってしまった。私の写真は展示会場で見てもらった。M君が最近撮っている阿蘇の星景や雲海の写真をプリントし、まとめたポートフォリオを皆で見ました。K君が1980年代に湘南や横須賀や北海道で撮った銀塩プリントも皆で見ました。

 写真とイラスト・2人展はあといちにち。