御礼 写真とイラスト・2人展終了しました。

Shinjuku 2015.10.17.

ネオンの明かりを車体に反射させつつ、信号に従ってたくさんの車が整然と通っていく。もう誰も覚えていない出来事がどこにでもあるんだろう。誰かが表明した意思は、どこに消えて行き、どこで芽生える?

 

Unknown

場所も撮影年もわからない(平塚?)、空には現像ムラがある。カモメが飛んでいる。カモメのジョナサンは70年。カモメのジャケ写のリターン・トゥ・フォーエバーは72年。あの頃のように、自由ということに意識的でいないと、2022年に自由が奪われかねない。

 

 上の二枚の写真はすでにこのブログで使ったかもしれない。本日最終日だった写真とイラスト・2人展に展示した写真と写真に添えた文章です。上の写真は新宿大ガードの東口側の交差点。何年か前のNHKテレビの森山大道特集で、森山さんご自身がこの交差点に立って、火炎瓶を投げる学生の写真を撮ったときのことを回想していた。1968年10月21日国際反戦デイであり新宿騒乱事件の夜のことだった。そのころ11歳だった私は神奈川県平塚市に住んでいて、いろんな意見があり、ときに行きすぎ、ときに抑え込まれ、歌が歌われ、火炎瓶が投げられた、そんなことには無知だった。だけど、今日私と同世代の某さんは、某さんのお父様が通勤の途中で新宿駅を使っていたこともあり、そのときのことをお父様が話すのを微かに覚えているそうだ。詳細はなにも知らない私だけれど、写真に添えた文章には「誰かが表明した意思は、どこに消えて行き、どこで芽生える?」とは書いてみた。いろんな意見があってもいいだろう。

 下の写真は望遠レンズで撮ってあり、たぶん湘南だと思うが、この手前の川と向こうの海に囲まれた駐車場がどこなのか?片瀬西なのか平塚馬入なのか鵠沼なのか、何人かのお客様が写真を見て推定しようと試みていたが、結局ここだろうということも定まらなかった。カモメが一羽飛んでいる。70年代前半はベトナム戦争の時代。カモメが飛ぶジャケットデザインでもよく知られているリターン・トゥ・フォーエバー(チック・コリアのジャズアルバム)に社会的な主張や反戦の表明があったとはちょっと調べた限りではどこにも書かれていない。それはその後のフュージョンといわれるジャズの潮流のはじまりの貴重な一枚だったと書かれている。しかし、このカモメを見るとカモメのジョナサンという小説(1970)のことも思い出し、すると、反体制や自由意志の象徴としてのカモメというアイコンが当時あったのだろうか?と・・・どうなんだろう。そして赤い鳥が「翼をください」を歌ったのは71年のこと。You Tubeで見ることのできる故・村上ポンタ秀一のドラムから始まるロック調に編曲されたこの歌、澄んだ山本潤子の声はめっちゃかっこよい。あの頃、例えば高等学校においても、制服の決まりの撤廃など、小さなことでも統制とか管理という目的で定められた規則を緩和しようという努力がいろんなところであったんじゃないだろうか。そういう風にして一つ一つ社会に約束されてきた自由というのは、その努力の過程を知り、維持することに意識的でないと、すぐにまた体制に吸収される危険をはらんでいる側面がある(と私は感じる)。そういうことを思ったので、写真に添えた文章には「あの頃のように、自由ということに意識的でいないと、2022年に自由が奪われかねない」と書いてみました。

 三日間で約100名の方にご来場いただいたようで、それはもちろん江指さんのイラストの集客力のおかげですが、大勢の方に写真を見ていただき、ありがとうございました。