5月の一週間

 5/8に湘南の海で撮った写真。きっとこんなのはありきたりの写真に属していて、でも犬が海を見ているのがシンプルに可愛い。春の進みは早い。この写真を撮った日には、まだ少し遅咲きの、あるいは日陰に、つつじの花が残っていたが、それから八日が過ぎてつつじは終わり、さつきの花が咲き始めた。芽生えたばかりの新緑は、明るい緑、ときに黄色や赤銅色のものも混じり、山や森を様々な色を使って美しく覆っていたが、もういまは若々しく力のある葉に育つとともに、色濃い緑に変わりつつある。春が新しい季節の産声だとするとすでに季節は青年期を越え、脂ぎった壮年へと向かっている感じすらする。今日は雨が降ったり止んだりしていた。少し肌寒い日だった。

 突然、小学校の卒業アルバムのことを思い出す。全員が一言づつ短いメッセージを寄せ書きするクラスのページ。私は「努力に努力」と書いたが、クラスメイトの誰かが同じことを書いた。それでなにも浮かばなくなり「根性一本やり」と書いた。でもなんだかかっこ悪いなと微かに小6の私は思っていた。あるいはその頃に根性という単語が頻出する柔道かなにか、スポコンものの漫画があったような気もする。だから根性という単語は流行単語で使うのがダサいと思ったのか。

 その同じ寄せ書きに商店街の婦人服の店のMさんが愛情という単語を使っていた。愛情が大事とか愛情を大切にしようとか、そんなことを書いてあった。いまの小6はそんなこともないだろうが、昭和40年代前半、12歳の男子生徒にとって、愛、という字を見るだけで訳も分からず赤面してとても口に出せず、字の形をじっと見るだけで妄想がふくらんでしまうような異常な自意識過剰が男子に共通にあった。広くさまざまな「愛」という字の素晴らしさに注目出来ず、それはまぁ恋愛とか性愛とかの愛のみをイメージしての自意識過剰だったのだろう。だけどMさんは男子よりずっと大人である12歳の女子らしく、その意味をより広く正しく理解していたと思われる。