坂のある町

 梶井基次郎の「城のある町にて」という小説を読んだのは、たぶん高校生のときで、以来、同じ作家の「檸檬」などは何度か読んだかもしれないが、この小説は読み直していない。ただ、坂を上ると小高い城があり、そこから遠くに花火を眺めるような場面があったことと、物語全体を覆う雰囲気が夏の夕暮れ時の、町のあちこちからまだまだ人のざわめきが消えないような、活気とともに夜に向かう少しの寂しさを纏っているような時刻を思わせるということだけがこの小説の印象だ。青空文庫で読めるから、今度ちゃんと読み直してみよう。そして、上に書いた、花火の場面と夏の夕暮れの雰囲気の二つをもって、私はずっと、素敵な小説だと思っている。読み返してもいないのに、だ。山城はないけれど、坂のある町の小高い公園にのぼり、一つ向こうの山裾に建っている住宅を眺めた。これは葉山の森戸の町だ。だいぶ前に撮った写真です。鎌倉高校前や稲村や極楽寺のあたりも小高い山(というか丘?)の上まで住宅があり、ああいう場所に住んでいる人はどんな眺めのなかで暮らし、どんな坂道を上り下りしているんだろうか?と散歩がてらに歩いたこともあった。坂の奥の山の斜面に建っている家に住んでいる、というだけでちょっと謎めいたような、いろんな物語が平地よりもぽろぽろ落ちているような気がする。

 先日の写真展を観に来てくれた高校の同級生のJ君と、J君の妹のHさん、J君は初日の夕方に横浜から、Hさんは三日目の昼過ぎになんと東伊豆から、茅ケ崎まで来てくれた。そのJ君とHさんが高校や大学の頃、まだお二人ともご実家にいたわけで、その家が遠くに相模湾を、その手前に平塚市伊勢原市の市街地が見渡せる、小高い丘の上にあった。車で行くときには、急坂と急カーヴ二か所か三か所を越えてのぼる。坂道沿いの一番上にJ家があり、その坂道をさらに上まで進むと送電線の大きな鉄塔があった。J家には坂の上の家であり、ご両親も明るくオープンな性格で、等々、なにがそうさせたのかわからないけれど、みんなが集まる場所にもなっていた。大学時代に、名古屋とか松山とか札幌とか、いろんな場所に散って行った高校の同級生たちが、夏休みや春休みに帰省をするとJ家に集まり、そのまま地元に住んでいる連中にも声をかけて多いときは五人か六人か、夜を徹して話し歌い、眠り、朝を迎えた。

 長谷川きよしの「今宵あなたは」という曲の歌詞(作詞津島玲)に、

♪夜明け近く 飲んでた仲間も 一人二人と減って 最後には私だけ

時には意地悪く 見つめていたけど 私の心は わかっていた筈よ

ずい分知ってるわ 別れた人達や 見果てぬあなたの 夢の話も♪

とある。まさにこの歌のように夜が進むにつれて、帰る人や眠る人が現れ、そのまま居間に居座り、ちょっと飲んだりしながら話し込む人は減って行った。それで朝を迎えたそのときに、男Aと女Bの二人だけが朝露で夏草が濡れた、坂道のJ家よりもっと上へ、鉄塔まで登り、斜光線が照らす市街地の、どんなにありふれた街であろうが、きらきらと特別に見えるその瞬間を共有してしまえば、なんだか恋に落ちたような気分になるものだった。たしか二組か三組、恋もしくは恋もどきの感情が芽生えたんじゃなかったか・・・(笑)

 今もどこか山の(丘の)上の家にはそうやって仲間が集まっているのだろうか。尾道、真鶴、長崎・・・。尾道に一人で旅をした20年ほど前、夜にガイドブックかホテルの部屋に置かれていた近隣マップのような案内で見つけた、ジャズの曲名が店名になっているバーへ、えいや!とばかりに行ってみた。店名は例えばAトレインとかミスティとかだったか。アルコールはほとんど飲めないので、アルコールが少なめと踏んで、ビールとトマトジュースを混ぜたレッドアイかなにかを頼み、あとはミックスナッツだかチーズ盛り合わせ。本も持ってきてないから手持無沙汰で、こちらからバーテンダーに話しかける勇気はなく、バーテンダーからなにか・・・「ご旅行ですか?」というような声掛けもなく、ただ会話のない時間が過ぎ、期待していたジャズ音楽は掛からないままに、シーンとしたなか私も、店員も、なんか緊張している時間が過ぎた。そのうち常連さんが来ると、店員は常連さんと話し込み、わたしはますますぽつねんとしてしまった。そんな尾道旅行、翌日は坂を上り、誰か文豪の・・・林芙美子だったかな・・・の旧居を見学した。電車が走って行くのを山から見下ろした。渡船にも乗った。すぐに到着する島は、映画さびしんぼう富田靖子扮する少女が魚を買う場面が撮られた島かもしれない。

 保坂和志著「季節の記憶」ではクイちゃんとみさちゃんとぼくは鎌倉の稲村ケ崎あたりの山の道を散歩コースにしていた。

 すなわち今日のブログでは坂のある町には思い出が宿りやすいとか、物語が隠れていそうとか、そんなことを感じると書いたわけでした。