新宿

 新宿の某所の喫茶ルノアールで知人の写真家さんと元写真雑誌編集長さんと会って、写真のことと、写真とは関係ないことをおしゃべりした。雨は降ったり止んだりしている。新宿の西口の構造は良く把握できていない。たぶん、ここ数年でがらっと変わった渋谷も、もう把握できていないだろうし、東京駅ナカもこのまえ北口側に、またも大きな駅ナカショッピングエリアが増えて以降、よくわからない。そんなわけで、道を知っていれば、改札を出てから5分で行けるのだろう集合地のルノアールまで、20分も掛かってしまいました。昔撮られた写真を今見ることの面白さについて、など、話が弾む。

 最新のフルサイズセンサーのミラーレスカメラに1950年代のライカL39マウントの50mmF1.4レンズを付けていく。オールドレンズを装着したからには、開放をなるべく使おうじゃないか、と思った。解散後、新宿駅の周りをぐるりとスナップしながら歩いてみる。目的地がないとかえって道に迷わず、だいたいこっちにいくとどこそこの辺りだろう、と目星をつけた通りの場所に出るのだった。ルノアールで迷ったのが嘘のようだった。人がたくさん歩いている。人数でいえば、コロナ前とあんまり変わらないんじゃないだろうか。そして95%の人が、いやもっと確率は高いかもしれないな、ほとんど全員が、マスクをしている。

 昨年の5月下旬、家の近くの田園地帯にある川沿いの並木の下を歩いていたら、烏に襲われそうになった。烏はこの季節、子育てのためにナーバスになっていて、なにかあると攻撃的になっているんじゃないか。烏はけっして一匹オオカミのアウトローでもなく、乱暴で横柄なワルモノでもないのだが、とくに都会の烏はなにか人間的な勝手な思い込み的な比喩で言えば、一匹オオカミのようであり、乱暴者をイメージしてしまう。だけど実際は烏とはこういうものだという暮らしを過ごしているだけだ。人がどんな気持ちを自分を使って比喩にしているかなんか、知らないままに。

 下の写真は小田急百貨店。近々に取り壊され再開発されると聞いたことがある。そんなことを聞いたか読んだかしたのを思い出して、高層ビルから窓越しに眺め、撮った。こうやって写真を見ると「デパートの屋上」にテラス席のようなものが見える。デパートの屋上なんて何十年も行ったことがない。この屋上から、1960年代などにはアドバルーンがいくつも上がっていたのだろうか。デパートの上階にある「デパートの食堂」でなにかを食べるときには、記憶なので間違っているかもしれないが、最初に食べるべきものの切符を買ったのではなかったか。硬い紙の切符だったかもしれない。いや、それは鉄道切符で、もっと薄い紙だったか・・・。席についてその切符をテーブルの上に置いておくと、エプロンをしたウェイトレスさんがやって来て、半分にちぎった切符を厨房の方へ持っていく。料理が出来ると、置いてあったもう半分と引き換えにしてテーブルに料理が届く。そんなシステムだった。と、ここまで書いてみたが、一方で紙の切符ではなくてプラスチック製の楕円の色札が使われていた気もしてきたぞ。。。

 子供の頃は海老フライが大好物だった。デパートの食堂でも海老フライを食べていたのだろうか?