初夏がやってきた

 とうとう初夏がやって来たと、会社の窓からごちゃごちゃと建物が建て込んでいる都内の街や、その所々に挟み込めれているような木々の緑や、遠く霞んだ空に飛んでいる旅客機や、私自身のボタンを外して2回折り返したワイシャツの袖を見ていて、そう思った。
 新聞のチラシを折って紙飛行機を作り、飛ばすこと。牛乳瓶の紙の蓋を開けるときに稀に失敗して牛乳が飛び散ること、テレビのガチャガチャ回すチャンネルのダイヤルは時計と同じで真上が12番だったこと。フイルムは装填をミスすると、から巻き上げになるからちゃんと巻き戻しダイヤル側も巻き上げにつられて回っていることを確認すること。初夏にも、他の季節にも、そんなことをやっていたが、そんなことはもうしない。
 最近聞いたのは、自転車のギアチェンジがチェンジ・バイ・ブルートゥース→モーターになってるそうで、そこで調べたら、とっくに、六〜七年前からそうなったらしかった。ときどきこんなふうに、へぇーってこと聞いて、大抵忘れてる。クラウドはなんか信用ならないから撮った写真をクラウドに上げることはしてない。
 ひとのからだはバイワイヤー化されたり、クラウドに思考パターンを預けたりせず、脳も筋肉もここにある。心配したり愛しく思ったり、それはそういうものだろう。だから、いつの季節にも誰かは誰かのそばにいようとする。

 不完全を愛しいと思えよ、勘違いするな。