先人に学べTシャツ

 日曜日に朝倉摂展に行った昼、美術館の近くのカフェに行き、チキンカレーを食べた。そのカフェの大きなテーブルにはコロナ対策のアクリル板が置かれていて、その板に、反対側にある店の窓の外の新緑と、窓の前の席に座っている客のシルエットが映っていた。壁のメッセージが掛かれたポスター、NOBODY OWNS THE BEACHと書かれている。

 母方の祖父は、大学病院の耳鼻科に勤務していて、1960年代の中ごろだろうか、ヨーロッパにひと月かふた月か海外視察に行ったことがあった。いや、アメリカだったかな。あるいはヨーロッパ経由のアメリカだったか。まだ海外に行く人が少なかった時代だから、なんだか親戚を上げて誇らしくかつ応援する気分になっていた、と小学生だった自分も感じていたのを覚えている。祖父は、その視察旅行に備えて、一年くらい前からラジオ英語会話を聞いて勉強をしていた。それを叔母が「お父さんはすごく勉強して英語を覚えてから行った」と言っていたが、どこまで会話が出来るようになったのかは実際にはわからない。

 ところで、いわゆる「紙袋」、例えばデパートの高島屋に行くと自動販売機で薔薇のイラストの紙袋が買えた、あれ。キオスクなんかでも普通に売っていたが、いまもコンビニで売ってますかね?あまり意識したことないからわからないな。高くなると大きくなり、有料で買う紙袋はたいてい雨除けのビニールが重ねてあった。いまは何かを買うとその店の紙袋に入れてくれる。観光地でお土産のお菓子を複数買うと、袋も入れときますねと、一枚の紙袋に例えば四つのお菓子を入れてもらい、紙袋も四ついれてもらう。その「紙袋」が一般的に普及していったのは1970年代頃からだったかしら。紙袋のデザインで英語でなにか書かれているものもたくさんあった。いまのメッセージTシャツのようなものであり、上の写真のメッセージポスターのようなことも英語で書かれていたかもしれない。英語で、砂浜は誰のものでもない、とか。NOBODY OWNS THE BEACH。

 上記の海外視察から数年後、祖父とどこかの駅を歩いていた。母と祖母もいたかもしれないし、ほかにも誰か親戚がいたかもしれない。祖父が紙袋に何かを入れて持っていたのだが、その紙の表面のデザインされた模様や写真や英語のメッセージが書かれているようなところに、別の白か黒か忘れたけれど、無地の紙を上から貼ってあった。あるいはマジックインクで消してあった。祖父に聞いてみたら、そこに英語で書かれたメッセージの意味が気に食わない、あるいは、英語だからそれだけでカッコいいみたいな感覚で意味も分からずメッセージを持ち歩くべきではない、だったかな、とにかく祖父なりの明確な理由があって、紙袋の英語文字を見えなくしてあった。それでたぶん祖母が、そんな主張を笑っていた。

 たぶん2000年に四国に行ったときに、すでに2000年にはあったユニクロでだったと思うけれど、緑のTシャツを買った。旅先でシャツを買う時はシャツが足りないか、思いのほか気温が暑いのか、なんかの理由がある。その日はとても暑かった。買った緑のTシャツの胸には英語で先人に学べという意味のことが書いてあった。気に入っていたが、わたしは毎年毎年、少なくとも4枚くらい新しくTシャツを買ってしまう癖がある。UTで森山大道シリーズが出た!とか村上春樹の本のイラスト(佐々木マキ)のが出た!とか、なにかのコンサートでツアーTシャツを買ちゃうとか、アウトレットモールでビームスTを見ていたらどうしても欲しいのがあって・・・等々。その結果タンスの引出の一段が全部Tシャツで埋まり、さらにまだTシャツが溢れる。だからときどき古いのを捨てなければならない。その四国旅行で買った「先人に学べ(という意味の英語)」Tシャツはついこの前まで持っていた。緑いろがすっかり色落ちしていた。とうとう衣替えのときに捨ててしまったな。

 祖父が「先人に学べ」と書いてあるTシャツを見たら、なんと言っただろうか。ダサいからやめとけと言っただろうか。ま、ダサいとは言わないだろう。おかしなことはやめとけ、だろうか。この母方の祖父は89歳まで生きた。最後までぼけずに過ごしていた。