終わらない夏

 東銀座のAKIO NAGASAWAに森山大道「記録」を観に行く。大きなプロジェクター数台から複数の投影画面に写真が映し出されて、その複数の画面の写真は、5秒周期くらいで別の写真に変わる。それが一巡するのにけっこう長い時間が掛かったから、いったい何枚の写真を見ることが出来たのだろうか。たぶん新宿の雑踏で拾ってきた町の騒音が流れている。言葉の断片が聞こえ消える。それがノイズではなくてなんだか心地よい町の音だった。そして、音を聴きながら、この町の音を文章として完結しない一部だったり、言葉ではない走行音などの音だったり、そういう聞こえる音を視覚に置き換えて、圧倒的な量で見せられているのがこの森山大道展「記録」なのだと思った。見ごたえ十分。

 繁華街の、レストランや上階にはバーやスナックが入っているような小さな細い雑居ビルの一階の入り口の脇に、誰も見向きもしないような小さな鉢植えがあった。私は、一階のベトナム料理レストランの開店まであと5分なので、そこに立って待っていたから、その鉢植えにふと気が付いた。花はもうほとんど散ってしまったようだが、二輪だけ咲いている。花弁の先が少ししおれているようにも見えた。ところが開店時間を5分過ぎても、店が開かない。開店時刻を間違って覚えているだろうか?とスマホに店名を入れて調べると、そうだった・・・案の定だ、開店まであと25分。ほかの店にしてしまうか、どこかで時間をやり過ごそうか?やれやれと歩き始めると、運良くすぐに公園を見つけた。広いがどこにもベンチが置かれておらず、その代わり、大人一人が座るのにちょうど良い高さの遊具がある。茸を思い浮かべて、その茸の笠が円板状で、軸を中心にぐるぐる回る。その円板に座ることが出来るというような遊具だ。そこに座ってみる。どうせならちょっと回ってみる。あまり早くはしない、ゆっくりと回るように足で地面を蹴る。回転速度はなかなか落ちず、いつまでも周り続けていくようだった。だけどそのうちに止まった。私は夏が好きだ。いや、どの季節も好きなのだが、70年代に読んだ、片岡義男著「スローなブギにしてくれ」だったか「彼のオートバイ、彼女の島」だったかに、夏は単なる季節ではなくそれは心の状態だ、という意味のことが書いてあった。(いま本棚から「彼のオートバイ、彼女の島」1977年8月発行初版が見つかったので調べたら、著者後書きに、この小説のテーマが、そういうことだと書いてあったから、それなりに正しい記憶だった)そんなことがきっと若者だった私の心にぐさっと刺さり、以来、もうずっと夏が好きなのだ。実際には、真夏の蒸し暑い日になると、暑くて嫌だ!とぶつぶつ言うわけだが。晩夏になり秋の兆しを感じると、ちょっと寂しくなる。それから夏至の頃からひと月半くらいの期間は、明るい時刻が長いと感じているが、お盆を過ぎたあたりから急に日暮れが早くなっていることに気が付き、それも悲しさに通ずる。夏がいつまでも続くことは「エンドレス・サマー」で、これは70年代にサーフィンをしながら地球を旅する若者を描いた映画タイトルだ。青いのは春ではなく余程夏なのかもしれないが、そうだとするとその青はぐっと群青に近い感じじゃないだろうか。円板が停まる。すると、いつのまにか、私の正面の円板の上に誰かがいる(いることにする)。私は若いころに、サーフィンなどしなかった、遠くの町や国に一人でバックパックの旅をすることもしなかった。私は若いころに、ギターのコードを抑えて鳴らすことなら出来たけれど、ステージに立って歌うことはなかった(人前でギターを弾いたのは、唯一杉山ハジメの結婚式で、三人の高校の同級生たちと一緒に「亜麻色の髪の乙女」を歌ったくらいだ。亜麻色の髪の乙女・・・ビレッジシンガース、1960年代のグループサウンズブームのときにフォーキーな曲調の歌をヒットさせた)し、テニスやバスケやサッカーや野球にすべてをささげるようにのめりこむことはなかった。そんなことを思う(思い出し+考える)。夏の終わりのプロ野球で、広島カープスラッガーが超特大のホームランを打った。70年代の夏の終わり、まだJリーグは始まってない頃であり、私は広島カープのファンだったのだ。ライトルか山本か衣笠か水谷かギャレットが打ったのだろう。その打球を見て、その打球よ!引力に逆らって、もうロケットのようにどんどん上空まで伸びて行って、そのまま遥か彼方まで行ってしまえ、と思った。もしそんなホームランの打球があれば、それと同じように、ある夏に終わりが来ずに、永遠の夏がずっと続くんじゃないかと、今思うとずいぶんとおセンチなことを思い、打球に託した。だけどいくら特大なホームランでも、打球は頂点に達してから落ち始め、それが場外かもしれないが、いつかは地面に戻ってしまう。だから夏は終わるのだ。それはそうだよ、と、正面の誰かが言う。このまえ若い人の流行歌がカーステレオから流れているのを何気なく聞いていたら、恋人の「君」に向かってのその歌詞には、君は僕より一瞬でもいいから長く生きてくれ、というようなことが歌われていた。そうだろうか、本当にその恋人のことを思うなら、悲しみを引き受けてでも悲しませないために、僕は君より長生きする、と宣言すべきではないのか。ボールは頂点を越えてしまっても、せめて地面に落ちないことを願おうか。高梨沙羅が最後の最後で粘って落ちずに飛距離を伸ばすみたいにだ。谷川俊太郎の神田賛歌、スマホで調べたら、全文載っている(谷川さんは著作権にうるさい方だと聞いたことがありますが、いつくも載っていた)。駿河台の坂道を降りて神保町に入る、神保町の美術書古書店に入り、高くて買えない写真集を恐る恐る捲る。たまに、申し訳ないから買える範囲の本を一冊買う。老舗の喫茶店の暗い店内でコーヒーを飲む。それから学生達と一緒に坂を上って帰る。私はお茶の水駿河台)や高田馬場の大学には通わなかったし、中央線沿線や東横線井の頭線京王線の私鉄沿線にも住まなかった。阿佐ヶ谷や西荻窪や吉祥寺や国立に住んでいても何も変わらなかったかもしれないが、なにかが変わったかもしれないとも思う。スマホに現れたその詩のうち、「ただ一冊の書物をもとめて」から「夢見る街」までのくだりを読んでみる。目の前の円板の誰かが聞いてくれて、何も言わない。円板の上に座ってもう回っていないわたし。足元に鳩がいる。砂を突いて、砂ではないなにか食べられるものを探っている。鳩の形にも人間的な勝手な基準で、すっとカッコいい鳩形があるんだろうか、その鳩は美しい。これから今年の夏がやって来る・・・とこのブログにも最近そんなことばかりを書いているな。時刻が来たのでベトナム料理レストランに行こうじゃないか。その前に左の肩をぐるぐると回してみた。目の前の円板には誰もいない。そうだよな・・・と思う。だけど、円板がゆっくりと回っていて、誰かがいた気配が残る。

 あ、森山大道写真展のネタ、のあとに書いたことはまたもや作り話でした。