階段からの報告書

  日の当たるコンクリートの階段は暑くなっていて、私が座ると同時に、面倒くさそうな動きで、日に当たってじっと微睡んでいたように見える茶色っぽいトカゲが逃げて行った。

 海沿いに西から東へ通過していった低気圧が作った大きな波が来ていたのが先週の木曜日のことで、金曜日は快晴になり、私は波が運んだゴミが溜まった砂浜を歩いていた。

 あぁ、そうだ、同じ砂浜を、同じようにゴミが押し寄せた翌日にその頃はいつもつるんでいた友だちと一緒に歩いたことがあった。もう何十年も前のことだ。その日砂浜に打ち寄せられたゴミの中から、友だちが、波に揉まれ、日焼けして色あせた小さなプラスチック製の、黄色と赤の玩具のバットを拾い、ではボールはないものか?と歩いているうちに、私が、表面の指掛かりになるごつごつした形がすっかりすり減って真ん丸になった軟式野球ボールを見つけた。バットとボールが揃い、ほんの三球か四球か、五メートルくらい離れてから、私がボールを下からそっと投げ、友だちがバットを振ってみた。友だちは下手くそでなかなかボールがバットに当たらなかった。最後にやっと当たったボールは、一塁側へのふらふらと上がったファールフライのような感じで飛び、私はビーチサンダルから砂を巻き上げ、よたよたと落下点に走ったが、間に合わずにボールが砂浜に落ちた。ぱっとしない。もうボールとバットをそのあたりに捨ててしまう。風がまだ強く、早く動いていく雲のある空を背景に、友だちの黒くて太くて肩まで伸ばした長髪が南風、すなわち海風を受けて黒い塊になって、右に、次いで左に、なびいている。友だちが屈みこみ、偶然見つけたきれいな桜貝を拾ったが、ゴミだらけの海岸からひとひらの桜色を拾って帰ることを、なぜだか「してはいけないこと」と思い、彼は貝殻を指先から風に任せる。それは本当に桜の花びらのようにくるくると回転しながら見えなくなるまで潮風に乗って舞って行った。

 先週は、私一人であの何十年も前の日と似たゴミだらけの砂浜を歩いたんだ。川を流れて海に出て、打ち上げられた大きな枝や、小枝と海藻が絡まった塊から、砂浜にいて普段より更により一層、潮の匂いが濃く漂っていた。偶然、私は、あの日と同じようなボールを拾ったのだ。そのボールを持って、いまは一人、この階段に座っている。少し大きく足を広げて座ってみて、ボールを持っていて、少しだけ気分が良くなる。誰にでもなく、何にでもないが、ふざけんなよ、馬鹿にすんなよ、と言ってやりたい。階段の前には幅の狭い舗装道路があり、その向こうは古い雑居ビルの壁で、私はそこに向かってボールを投げる。ストレートの握りで投げ、カーヴを投げ、シュートを投げた。

 いくらゴミがたくさん打ち寄せられた日でも浜辺にはハマヒルガオが咲き、オオマツヨイグサが咲いていた。友だちは、昼間に私と二人で歩きバットとボールで遊んだその日の夜に、女の子と二人で砂浜へ行ったそうだ。オオマツヨイグサの花を摘み、女の子の髪にさし、二人は手をつないだ。友だちは砂浜を波打ち際へと下りながら、ちょっとした悪だくみを実行してみる。そのあたりに海水を吸って不気味に膨らんだソファーの大きなスポンジが落ちていることを私と昼間に歩いて覚えていた。棒でつつくと海水がじゅぶじゅぶと染み出すような、彼に言わせれば不気味な妖怪のごときスポンジ。何食わぬ顔でそのあたりを歩き、わっ!何かが動いたぞ、なんだ!お化けか妖怪か!と叫んでみる。彼の計画によると、それで女の子が怖がって彼にしがみついて来る、そうなる筈だったのだが。女の子はなにも怖がらず、しがみついてくるわけもなく、冷静に「なに言ってるの、ただのソファーのゴミよ」と言っただけだった。「あんた、弱虫」とも。友だちは、なんだかがっかりしていたが、私はこの話を聞いて、ハッピー!女の子!と思ったものだ。何十年も前の日に。

 ボールを壁に投げ、跳ね返ってくるのを素手で受け取り、また投げる。ストレートとカーヴとシュートとナックルだ。それ以外の握りのことは知らないからだ。ボールが壁や道に当たる音は、ポンとは聞こえない。コンでもトンでもない。どう書けば言い得ているのかわからないが良い音だ。いま、この階段に座ったままボール遊びをしている私の、この階段の一段目より三つか四つ上に、友だちが来たと空想する。彼は何を話すだろうか。ボールを目で追いながら、新しい写真作品をまとめる構想でも話すかもしれない。それはきっと良い案で、だけど私は、素直に良いねと言えずに、あれこれと注文を付けるだろう。私の髪は彼より細くてさらさらとしていて、あの日は風を受けて、塊となって動くのではなく、乱れ放題だったな。良い案・・・夜の闇のなかにぽつんとあるバス停でバスを待つ人の写真。夜の闇のなかにそこだけ照らされた踏切で遮断器が上がるのを待っている人の写真。夜の闇のなかにぽつんとある公衆電話ボックスに入って電話をする人の写真。私は言うだろう、嫉妬心をちょっとだけ持ちながら、それ撮ったことあるよ、もう。なんてこった。なんてこった。なんてこった、それが何十年前のちっぽけな私であり、今もたいして変わってない。投げたボールがそれて転がって行った。風化しない後悔もある。

 この一段目の階段より三つか四つ上に、友だちではなく、こんどは女の子が来たと想像する。いやもう女の子じゃない、同じだけ時間が流れた女性だ。ねえ、と彼女は女の子のときの口調で言うかもしれない。あの夜、一緒だったのがあなただったら、私は驚いたふりをしていたかもしれないわよ、と。これだって後悔だろうか。それにしても楽天家であることよ、わたし。

 ふと気が付くとすぐ横にまたトカゲが戻っている。日を浴びて動かない。私がなにもしない、いや、なにも出来ないことを知っていて、安心して微睡むトカゲだった。

 

・・・はい、今日もまた半分くらい作り話でした。