ケネディ暗殺ニュースはAMラジオで聞いた。

  小学生高学年の頃に京都や奈良や鎌倉のお寺巡りや仏像見物が好きだった。その頃に見た夢でよく覚えているのは、法隆寺まで一人で旅をするのだが、やっとたどり着いたその時に、閉門時刻となり、小学校とおんなじ終業のチャイム、それはたとえばドボルザークの新世界のメロディ、が、流ていて、わたしは法隆寺の外周を土壁に沿って走るのだが、なかなか入り口にたどり着けないまま、とうとう諦めて、法隆寺に入れない、そういう夢だった。そのあと、もしかしたら中学や高校の修学旅行、ともに京都奈良だったのたが、そのときに法隆寺に行ったかもしれないのだが、もう寺巡りの趣味なんて冷めてしまっていたからか、行ったかどうかも覚えてない。だから私の中では、法隆寺にたどり着いたのに閉門時刻を過ぎて入れなかった夢をみたまんま、実際にも法隆寺には行っていない、というのが正式な記憶としてあった。本日は奈良市入江泰吉記念奈良市写真美術館に須田一政写真展を見に行き、そのあとにとうとう夢の呪縛を解くべく(笑)法隆寺に行ってきた。今日は蒸し暑い日。30℃。法隆寺の駅から法隆寺までは15から20分かかる上広いお寺だから、五重塔や金堂から夢殿までまわる、それも長い距離になる。もう脱水症状間近という感じでスポーツドリンクをときどき飲みながらふらふらと歩いた。国宝の仏像たちも、甍の美しい建物も、美しかった。

 須田さんの写真展はずらりと代表作があれもこれも並べられ圧倒される。撮影は1977年中心に79年ころまでの、須田一政といえば!というべき66のモノクロのスナップが多い。そのどの一コマにも表情や振る舞いや姿勢が、一瞬だけそうなっても普通は気が付かないような一瞬のおかしみや奇妙さを纏う、そこを全部の写真が見事に捉えている。今と違って街角スナップは肖像権がどうのこうのと言われなかった時代で、撮られる方はおおらかだ。そもそも街にいる人たちがその外見の自由さ、表現の自由さにおいて、幅広くおおらかなのだった。すなわち須田一政の技と、市井の人々のおおらかさが、もたらした傑作群であり、いまはもう誰もこういう写真は撮ることができないんじゃないか、と思いました。

 で今日の写真は今日撮ったものではないです。ケネディが暗殺されたニュースがラジオから流れて、父が驚いて小学生だった私に教えてくれたときのことは今も覚えている。庭で遊んでいてそのニュースを聞いたと思います。庭には小さなひょうたん池や木瓜の木が有り、モズの生贄がボケの枝に刺さっていたときがあった。モグラがもこもこと下から土を突き上げて道筋を示している朝もあった。木造平屋の縁側には雨戸があり、雨戸の穴を抜けた陽の光が像を作っていた。そういう日本の朝にケネディ暗殺のニュースが流れてきたのだった。