車体色遍歴

 24歳くらいのときに買ったオートバイは青だった。紺ではなく、わずかに緑がかった明るめの青だった。その車体色を選んだのは月刊オートバイかモーターサイクリストの新製品紹介ページに載っていた写真からだったが、写真の青はもっと濃くてもっと紺に近かったから、納車されたと聞き、隣駅の丸富オート(というバイク屋さんだったと思う)に受け取りに行き、初めてその色を見たときはちょっとがっかりした。ところがその車体色は晴れた日の真昼間には綺麗に思えなかったのに、夕暮れ時やどんよりとした曇り空の下になるとしっとりと大人っぽく輝いた。そのオートバイに三年くらいだろうか、乗ったあとに、今度は銀色のオートバイにした。このブログにも写真を載せたことのある。車体色は銀と黒と赤があっただろうか?迷わず銀色にした。最初のオートバイのように白昼ではダサく見え、曇天や暮れ時になると色っぽくなるような、そんな色の魔術のようなことは起きず、いつもどこでも普通の塗装された銀色だった。PAOという日産のコンセプトカーを買ったことがあった。当時住んでいた東急田園都市線のI駅が最寄り駅のマンションは国道246号線沿いにあって、マンションのすぐ隣が日産の販売店だった。あるとき都内に写真を撮りに行き(当時は近代建築探偵の本がちょっとブームになっていて、例えばまだ建物が残っていた東洋キネマを撮りに行ったりしていた)その帰りに隣の日産でPAOが本日より展示というイベント(初日)をやっていて、散歩帰りの疲れたままふらふらと見に行って、妙に気に入ってその場で申し込んだ。衝動的に車を買った。もちろんこのときだけだ。会社でデザインの仕事をやっている連中はそういうコンセプトカーでレトロっぽさを無理やり演出した車の在り方が許せないらしく、さんざん、あんな車を買うなんてダサい、と言われた。でももしあなた方が日産のデザイナーでコンセプトカーのチームに引っ張り込まれたら嬉々としてデザインするでしょ?と言いたかった。コンセプトカーの初代はBe1という車でそれが話題になったこともあり、その後数年のあいだに4種類くらい、コンセプトカーが売り出されたと思う。受注に応じて少量だけ手作り感満載で組み立てる、みたいなことだったのか。色は牛乳多めのカフェオレのような薄いベージュ色だった。一年乗って、ほとんど買ったときと同じ価格で売れた。そのあとのレガシィツーリングワゴンがメタリックな紺だったかな、そこから青のホンダステップワゴンをはさんで、Mazdaのトリビュートは臙脂色というのかワインレッド?・・・まぁとにかくちょっと濃い目の赤だった。上の写真に写った車の赤より濃い赤。車の色は、買うときはああだこうだと悩むがいざ買ってしまったあとは、まぁそんなもんだ、イイもワルイもないや・・・という感じになる。いまの車は・・・電源が切れている液晶の色とか、蟹みその色とか、そんな感じです。こうして書くと、最初のオートバイの色が、普通はイマイチで曇天や暮れ時にすごく美しくなるという不思議というか色の見え方に大きな差があって、そのときは正直「失敗したぁ」と思っていたが、いちばん面白かったわけだ。

 ある長い休みに、たぶんGWだった、横浜の寮をオートバイで一人出発し、松本まで行き松本城を見たりなんとか学校を見て、ビジネスホテルに泊まる。翌日は記憶があいまいだけれど、木曽を観光しながらいわゆる中山道を下って名古屋に行ったんじゃなかったろうか。途中でもう一泊どこかに泊ったのかな。名古屋で二泊かそこら過ごしてから、夕方に名古屋を出発し、東名高速をずっと走って23時頃に寮にたどり着くというツーリングをやったことがあった。この帰り道の東名が雨でね。雨男だから、その前にも東名をずっと雨に打たれて下ったこともあったのだが。この雨の上りの東名高速では、途中でものすごく身体がだるくなり真っ当に100k/hで運転をすることが不可能になった。あれは体温が奪われてしまったのかな、とにかく疲れていたんだろう、眠気もあったのか。そこで路肩を50k/hくらいでノロノロと進み、最初にあったSAかPAに死にそうな思いで辿り着いた。そういう路肩の低速運転で辿り着かないと危ないぞと自分で判断出来て良かったと思う。そして辿り着いたSAだかPAで、カレーライスを食べたのだった。このカレーの味など、なにも覚えていないが、しかしこのカレーライスを胃に入れたあと少しだけ休んでいると、みるみると身体が回復して行くのだった。自分でも驚いてしまった。疲れは消えた。ほうれん草の缶詰めを食べた直後に突然元気になるポパイみたいだ。そこでそのあとは雨もなんのその100k/h(以上?)で突っ走った。あの頃よく聴いていたのが井上鑑のリンドバークのことを歌った曲の入っているアルバムだった。翼よあれがパリの日だ、という部分のメロディは今も歌えるが、そのときはたぶん最初から最後まで覚えていて、カレーライスで元気になったあと、ずっとその曲を頭のなかで歌いながら運転したと思う。とここまで書いて調べたら井上鑑のその曲名は「リンドバーグ物語」。パリじゃなく愛なのでした。

翼よ、あれが愛の灯だ

朝焼けの彼方に浮かび

宝石のように輝いて

孤独なナイトフライト

みまもる君の夢のかけらさ

高速の光をタンクに反射させながら元気になった私と青いオートバイ、夜の光のなかで真昼間とは全く違って艶っぽく反射するタンクを両足で挟みながら突っ走ったとき、それはオートバイと私がいわゆる「人馬一体」になっていた瞬間だった。

 あの雨のSAのカレーライスは、おおげさにいえば命を救ってくれたカレーライスだった(あのままふらふら運転していたらいつか転倒したんじゃないだろうか・・・)