理由もなくクラウドが胡散臭い(と感じる世代)

 6月の終わりに放送されたNHKBSの新日本風土記「野毛」を見ていたら、野毛のジャズ喫茶ちぐさが二日後に閉店になると言っていたので、その放送日から二日後だと思っていた。数日前、カメラを持って気の向くままに野毛のあたりを歩いていたら、ちぐさの建物はきれいさっぱりなくなっていて、更地の地面には夏草さえ繁っていて、更地になってしまうとずいぶん狭い敷地にあったんだなと思った。放送では新しくライブハウスが出来ると言っていたと思う。6月末から二日後に閉店し、すぐに取り壊しされたとしても、こんなにすぐに夏草は生えてしまうものなのだろうか?!と思ったので調べてみたら、私が見たのが再放送だったのか、あるいはナレーションが取材をした日から二日後という意味で話されたのか、調べると4月末で閉店したらしい。そうであれば、あれだけ夏草が生えていても、びっくりすることではない。更地になり草が生えているのを見ると、夏草や・・・の芭蕉の句やら、高校生のときに漢文の授業で習った国破れて山河ありの杜甫漢詩などを、たかだか小さな更地を前にしただけなのに思い出した。閉店間近とは知らずに最後にちぐさの建物の前を通ったのはたぶん3月のことで、それ以来3か月くらい、野毛を散歩することはなかったってことだ。

 フイルムカメラが再度ブームになっているようだけど、そんなのは最盛期の1/1000とか1/10000分の一に縮んだ市場規模がそこから二割か三割盛り返したなんていう話に過ぎないんじゃないだろうか。実際にはフイルムを製造販売して利益が得られるような会社はあるのかしら?フジフイルムもどんどん撤退している。二年くらい前の月刊コマーシャル・フォトでプロの映像クリエイターとか広告写真カメラマンの多くがまだフイルムで撮っているような特集があったけれど、ここ二年ほどでその環境はますます厳しくなっているんじゃないか。これもずいぶん昔のうろ覚えの記憶だけれど、那智の滝を撮っている杉本博司が、フイルムがなくなったら写真を表現手段としては選べなくなる、と言っていたのを、これもなにかの番組で見た気がするけれど、うろ覚えだから違っているかもしれない。フイルムがなくなってしまえば、当然だけれど、フイルムカメラでは写真が撮れない。フイルムカメラの特に1980年代以前のものは、基本的にはアナログの、メカニカルなものだったから、フイルムと現像システムがあれば写真は生み出せ続けそうだけれど・・・。でもフイルムがなくなれば出来ることと言えば空シャッターを切るだけでもうアナログカメラから写真は生めない。バネやらリンク機構やら歯車という目に見える連動機構なら修理を重ねて延命できそうだ。いわゆる完動品状態に、電池を必要とする以前のアナログカメラはおおげさだけど「いつまでも状態維持できる」かもしれない。でも、繰り返すが、カメラが動けてもフイルムがなければ写真は生めない。

一方で最近のデジタルカメラは電池がなくては動けない、どうなんでしょうね?基板とか回路とかCMOSとかの電子物件の成り立ちは、メカを修理して使う感じではないから、だって、街の小さな修理屋さんの職人さんが、マイコンが壊れた場合その中身を直せるとは思えないし、代替のマイコンを手作り出来そうにない。肝心の電池だって、どれくらい寿命が持つものなのだろう?デジタルの電子物件は動かなくなるとどうしようもなくなりそうだ。その動かなくなるのは・・・例えば今年新品で買ったデジタルカメラが50年後に写真を生めるのだろうか?なんだか怪しい気がするが・・・。例えば50年後、SDカードもjpeg形式もPCももう主流ではなくて、だから仮にカメラが50年後にも完動できたとして事実上写真が生めないかもしれない。

 そうするとクラウドという風神雷神に次ぐ雲神さんが出てくる。クラウド神、雲神さまは言うだろう。「撮影はその時代時代の最新のカメラをつかえばいいだけの話。写真を生めなくなった機材は捨てちゃいなさい。そして過去の写真データをいつまでも必要とするならこの雲神に預けなさい、ちゃんと保管するし、最新のファイル形式に変えといてあげるから、なんも心配ないよ」と。そして小声でつぶやく「ま、保管してもファイル形式変換しても、せいぜい五年か十年、長くても二十年すれば誰ももう見ないっしょ。いらない、いらない」

 アナログレコードも再ブームになっているそうだ。ちぐさにあった大量のジャズのLPレコードもどこかに今は大切に保管され、新しく出来たるライブハウスでライブのない昼間などに掛かることがあるのかな?そうであればちょっといいと思う。アナログレコードは溝の中に刻まれたデコボコを針が振動として広い、その振動の波形を増幅して、中学生のときに習ったフレミングの法則で力に変えてスピーカーのコーンを動かして音にしている。単純で分かりやすい。

 アナログレコードは再生のときに合わせてミュージックファイル形式で保存すればいいし、フイルムのネガは接写してjpeg形式で同様のことも出来る。でもだからと言って、フイルムカメラが、フイルムがないという理由で写真が生めない、レコードプレイヤーがレコードがないから音楽を再生できない、というのはせっかく自分の機能を維持したアナログ時代生まれの完動品なのに、なんだかすごく残念で哀しいな。一方でどうも雲神は直感的に胡散臭い。

 でもこんなこと思う人も、じきに世の中から消えて行くから、もう誰も文句を言わず、雲神と新しいシステムの機器が世の中を牛耳るだろう。誰もあらがえない夏草や・・・の世界。

 下の写真で交差点の手前左側の赤いコーンのあるあたりにちょっと夏草が写っている空地が見えていますが、ここがジャズ喫茶ちぐさのあった場所です。ちなみに上の写真はどこかのありふれたビルのが外壁タイルです。どこかも判らない・・・