殺風景がいい

 今日は副反応で37°を越える熱が出ていました。だいぶ治りましたが。テレワークは午前の会議だけ出席し、午後は休みをもらいごろごろしていました。そんなわけで、ってどんなわけだか・・・以下は100%の創作小話です。上の写真を昨日電車の車窓から撮った。この写真からでっちあげた話です。だらだら長いのでお時間あり、かつ、もしつまらなくても寛容な心持の方は、どうぞお読みいただけると幸いです。

 

  一昨日の晩、最寄り駅の駐輪場に停めた二十年落ちのママチャリに乗り、アパートに帰る途中に中華と定食「王力」の引き戸の入り口のすりガラスから漏れている灯りを見た。通り道だから毎晩見ているんだけど。会社でAさんからクリームパンをもらって食べた。

「K君これ食べてくんないかな?今日までが賞味期限なんだけど、私さっきカップ焼きそば食べちゃったんだよね。食べたあとにこれあったの思い出してさ・・・」

クリームパンを食べたからお腹は中途半端に、すなわち満腹でも空腹でもなく、満たされていた。晩飯は食べずに済ませて、帰宅して小腹が空いたら、そのときにスナック菓子でも食べればいいや、と思っていたのだが「王力」に近づいて行くと、小さな赤い提灯には「定食」と書かれていて、なんだかもう自分が運転しているのではなく自転車自動停止装置が働いたかのようで、店の前にママチャリを停めていた。

 会社の新人歓迎会をやってもらったときに、Kはどこに住んでるんだ?と聞かれたのでそれに答え、次いで休みの日なんかは「王力」で食べると言ったら、十歳年上のAさんも、その十歳年上のJ課長も、さらに十歳年上のI部長も、偶然に私と同じ新入社員のころに「王力」を中心とした直径1.5キロ以内に住んでいたことがあり、全員があの餡かけ肉ソバと焼き餃子を食べたことがあったので驚いた。部長も課長もAさんもみな驚いていた。そんなこともあったからか、僕はますます「王力」の常連だ。いまは真夏になったから餡かけ肉ソバではなく冷やし中華を食べることが多い。「王力」には「叉焼冷やし中華」という普通よりも200円高冷やし中華もあり、大きく分厚い叉焼が3枚となぜか、冷やした焼き茄子が丸ごと一個乗っている。普通との200円差は叉焼と茄子だった。

 部長が「王力」によく通っていたころに、すでに店はもうだいぶくたびれていたというから、店はもう40年か50年か、改築改装も最小限に続けているのだろう。料理をする白髪のオヤジは、いつだれがそんなものを作ることを思いついたのか、山吹色に赤い字で「王力」と漢字二文字がどかんと大きく印刷されたTシャツを冬も夏もそれを着て、じゃじゃじゃっとなにかを炒めたりしている。そんな「王力」に一昨日の晩に、それほど空腹ではないのに立ち寄り、お腹にクリームパンが溜まっていたことが遠因なのか、いつもは食べたこともないのに、天津丼を頼み、餃子は付けずに、その代わりにキリンの小瓶を飲んだ。僕が座っていたのはカウンタ席の奥で、急角度で見上げるといまどきまだこんなテレビが残っていたのかと驚くような14インチくらいのブラウン管テレビが置いてあって、そこにプロ野球が映っている。僕としては同時刻にやっているサッカーの試合を映してほしかったが、チャンネル変更をお願いするほどのこともなく、そのうち、読売ジャイアンツがノーアウト満塁のチャンスを一点もとれずに6回の攻撃を終えてしまったときに、オヤジが「ちぇ」と小さく舌打ちをした。大きな中華用フライパンで向こうの四人席に座った若い男女が注文した五目炒飯を炒めている、その米が盛大に飛ばされてはまたフライパンに落ちて行く、その動作を完璧に(と、僕には見える手つきで)こなしながら、そうかオヤジはちゃんとプロ野球の経過を気にしているんだ、とわかった。しかしオヤジの「ちぇ」だけなら良かったのだけれど・・・。

 炒飯を待っている男と女の、彼らは同棲でもしてる恋人たちだろうか、男はビーサンを、女は裸足にかかとが少しだけ高い白っぽい使い古しの夏用サンダルを履きペディキュアは赤い。男は紺色の短パンにユニクロのロックバンド、レッド・ツェッペリンの燃える飛行船の柄のTシャツを着ていた。首回りがずいぶんと伸びていてずっと着古したものに見えたし、女の方は、ポケットが付いた薄紫の柄のないTシャツにだぼだぼのブルージーンズで化粧っけのない顔に肩より少し長い髪をポニーテールにまとめていた。

 オヤジが大盛炒飯を男の前に置き、普通盛炒飯を女の前に置いた。オヤジは僕の頼んだ天津丼を作り始めるべく卵を三つ割っている。僕はオヤジに言ってみる。「オヤっさん、ジャイアンツファン?」するとオヤジは「当たり前よ。堀内の頃から筋金入り、それどころか金田が投げていた頃だってうろ覚えだけど覚えてるよ、以来ずっと」と珍しくオヤジにしては饒舌だった。「でもよ、今年は三位から四位をうろうろしていて、どうもこれからっていう勢いに乗れそうな試合でサヨナラ負け食らったり・・・」オヤジが卵をフライパンに投入する。僕は知ったかぶりをして言ったんだ。「ジャイアンツって、相変わらず生え抜き選手育てずに、札束で他チームの主力を引き抜いてんの?」と。「さあ、どうだかねえ」とオヤジ。

 この「さあ、どうだか」の「だ」のあたりだったっけ。二人連れのレッド・ツェッペリンTシャツ男が「ジャイアンツの悪口言ったら承知しねえぞ!」と言いながら、席を立って、カウンターに座った僕の頭の上から、コップの水をザーッと掛けたのは。それからちょっとした騒ぎになり、すなわち、女は謝り、オヤジは出てけ!って怒鳴り、男は急に冷静になったのか、青い顔をして茫然と立っていたけれどじきに「兄ちゃんごめん」と小さな声で言い、なんと私は、これはクリームパンを食べたこととなんか関係あるのか、いつになく冷静に「いいから、座って、ちゃんと炒飯食べてください」などと言っていた。動転したときに僕自身がどうなるか、いまいちいつもわからないな。。。

 それで二人連れが、なんとまあ急いではいたけど炒飯をちゃんとかき込み、僕の天津丼代とYシャツの洗濯代として2000円を置いてそそくさと店を出て行き、そのあとジャイアンツは8回に逆転ツーランで一点リードをしたけれど9回に再逆転を許すことになったのだが、私はジャイアンツが一度逆転したところで天津丼を食べ終えて、オヤジがその濡れたシャツを脱いでこれ貸してやっから、と四枚か五枚はストックがあるらしい「王力」の山吹色シャツを貸してくれた。オヤジはでかいからXLサイズで僕はMだった。帰り道に自転車を走らせていると。大きなTシャツがぱたぱたとはためいて腹や胸の前で音を立てた。なんだかなぁ・・・水掛けられて、今日はついてないな、と思いつつも、ひと騒動あってちょっと面白かったなとも思ったから、Aさんにラインして顛末を伝えたが、Aさんからは昨日まで返事がなかった。しかも「そりゃ、ごくろうさん」とだけの返事だったので、しつこく聞いてみたら恋人とホテルにいたんだから返信なんかできるわけない、と言うので、これまた「えっ・・・」と絶句した。Aさん、彼氏いるのか・・・。

 昨日は雨で今日も雨で、仕方がないから今日の朝にコインランドリー、これはアパートのすぐ近くにあるのだ、に行った。雨だから洗濯物は部屋干ししてもなかなか乾かないだろうし、乾いた頃には臭くなる。コインランドリーで乾燥までやってしまおうと決めたのだ。下着や形状記憶Yシャツ三枚、うち一枚は水を掛けられたシャツと、オヤジに借りた「王力」Tシャツを洗濯した。乾燥機が回っているのをコインランドリーのベンチシートに座って読みかけの小説を読み進めて待った。むかし見た映画で、コインランドリーで鉢合わせした男女がたまたま洗濯機だか乾燥機だかが回っているあいだに読もうと持ってきた本が同じ本で、それがきっかけとなって付き合い始めたんだっけ?そんな場面があったけれど、実際にはそんなことは起きやしない。第一、洗濯と乾燥が終わるまでのあいだに、誰も他の客は来なかった。

 梅雨が上がったと気象庁はだいぶ前に言って、言ったあとにたしかに十日ほどは晴れの暑い日が続いたが、いまこそ梅雨の末期のような雨が続いている。静かな激しい雨ってあるんだな。雨粒が大きいと、雨粒の数が少なくても、例えばコインランドリーのドアの上に伸びているプラスチックで出来た庇に当たってバサバサって大きな音を立てる。庇に当たる音は小さいけれど雨粒が小さく数が多く、落下速度も速い、これは下に向かう気流でもあるのかしら、いまはそういう静かで激しい雨が降っている。大きな音は立てないが、なんか鋭利なナイフのような雨だ。たかをくくっているとパンツの裾なんかあっと言う間にびしょ濡れになってしまう。乾燥が終わった洗濯ものをアパートに持ち帰るときにはスマホで雨雲レーダーを見て、十分ほどコインランドリーの中で時間をやりすごしてから、小降りになるのを見計らって帰ったのだが、その十分ほどのあいだにヤフーニュースの記事の見出しを順にスクロールをして斜め読みしていたら、戦争と訃報ばかりが目に留まりちょっと辟易としてしまった。それから、最近ヤフーの画面に、自分の検索履歴から推定されたお勧めの通販の広告が入る、その広告がなぜだか女性の下着ばかりになっている。このまえ、Nさんが電池が切れたからスマホで調べたいことあるから5分だけ貸して、と言ったときからそうなったのか。そんなどうでもいい十分だったから、そのどうでもいいことを書き残したくなった。

 午後になりやっと小雨になる。僕は山吹色の王力Tシャツ、繰り返すが王力の字は赤です、をきれいに畳んで黒のデイバッグに入れて、黒のポロシャツと濃いグレーのジーンズと明るいグレーの傘をさして線路沿いの道を王力に向かって歩き始めた。赤いポストが濡れている。いま、メールやらラインやらの時代になってさ、年賀状なんかももう出さないっていう人が増えてるって。もう僕なんかは、最初っから年賀状なんか書いたことないけど。ポストに葉書?手紙?を入れたこともずっとないな。小学生のときに、山形県にある姉妹校の同学年の、顔も知らない生徒に手紙を書いたことが唯一の経験かもしれない。それだって二通のやり取りでメルアドを交換したんだった。それにしても今日の僕は無彩色人間になっている。たまには・・・そうだ靴下くらいはピンポイントで明るい色、履いてみるかな。でも失敗すると目も当てられないから難しい。

王力」は昼の営業時間が終わるぎりぎりだろう。僕は今日はなにを食べようか。畳んだ洗濯物を返したあとに「叉焼冷やし中華」にしてみるか。そしたらオヤジは、この前は災難だったね、とかなんとか言って、叉焼を一枚多く入れて・・・くれるわけないか。こういうこと妄想するのが僕の悪いところ、ケチなところなんだよな。いかんいかん。

 線路沿いの道、「王力」まであと五分くらいだろう。駐車場とアパートばかり続く殺風景な道だ。Nさんの頃もJ課長の若い頃もI部長の若かった頃も、この殺風景は変わらずに殺風景だったのか。殺風景には殺風景なりの変遷があって、殺風景な駐車場に殺風景な実用車が停まり、時代時代の殺風景なアパートがあって、車もアパートもときどき新品に、もちろん殺風景な新品に変わって来たのかな。僕は殺風景でいいなと思ったりする。電車がごーっと走って行く。15両編成の長い電車だ。電車のごーっと言う音に合わせて空腹なお腹がぐーっと鳴った。これが7月のとある雨の休日の僕の過ごし方。