真夏には窓を開けて

  住んでいる茅ケ崎市は、サザン・オールスターズや加山雄三の出身地(なのかな?)ってことでなにかイメージが出来上がっていて、よく「いいとこ住んでるねえ」とか「おしゃれだねえ」とか言われるけれど、東京からおよそ1時間の通勤圏の端っこの地方小都市であり、海側の一部地域にそんなイメージに応えてくれるような商店街や住宅街があると言えばあるのかな、そしてもちろん遊泳可能な海水浴場と漁港と遊泳禁止の砂浜があるけれど、あとは隣の平塚市藤沢市とたいして違わないし、平塚や藤沢の方が人口も面積もたぶん企業誘致による収入も大きいだろうから、むしろ茅ケ崎の方が財政的にはきゅうきゅうとしているかもしれない。すなわち海側の一部を除くと、ほとんどはそんなただの普通の町だ。ただ、もしかすると、むかしから海側の住宅地の大きな家に住んでいるような方々に、茅ケ崎気質のような自由で楽天的な気分が受け継がれていて、それが「らしさ」になっているのかもしれない。私は1989年に茅ケ崎に横浜市某区から引っ越してきて、それから30年以上経つけれども、そんなのはたかだか30年で、上記の茅ケ崎気質に触れるようなこともない。明治大正時代から昭和中期まで、海側は保養地でもありサナトリウムもあり、海に近い旅館には小津安二郎が長逗留して映画を撮ったり構想を練ったりしていたらしいし、同じ昭和中期には若き加山雄三が見よう見まねでサーフィンを始めたらしい。小津安二郎が長逗留した旅館には古い古いサーフボードが飾られている。ニューミュージックのグループ「ブレッド&バター」(ブレバタの岩澤ご兄弟も茅ヶ崎の方)の私が持っているCDのジャケットには誰かの家の広い芝生の庭でバーベキューパーティでもやっていそうな若い人たちが大勢集まった記念写真が使われているが、そういうのが暮らしの中にあった人達がずっと茅ケ崎に住んで茅ケ崎気質を受け継いでいるのかもしれないが、そういう知り合いはまずいないのでわからないです。私の家は茅ケ崎駅より北の「茅ケ崎山側」だから、そういう気質があったと仮定しても、それは海側のことだろうから、ますますただの通勤圏の住宅街であり、さらに言えば、私が引っ越してくる少し前までは田畑が広がっていた、そのなかに神社があって、松並木の参道があり、いまはマンションやらスーパーやらで遠くからはわからないが、むかしは田畑の中にその松並木や神社が見えたのかもしれない。住んでいるマンションの近くにはコンビニやら、日本の高齢化に伴いまるでセイタカアワダチソウのようにそこら中に領域拡大している薬のチェーン店や、地元に数店舗展開しているスーパーがある。引っ越してきたときにはそのスーパーまでのほんの200mくらいの道の途中に書店が二軒もあって重宝したが、とっくの昔になくなってしまい、塾と美容院になってしまった。でもまだ住宅のあいだに古くからの農家があったり、家庭菜園に貸し出している畑が残っているし、川も流れている。護岸はコンクリートでしっかり作られているが、それでも護岸と護岸のあいだには川の流れだけでなく流れの両側にはたぶんニセアカシアのような水場に強い木々や雑草が生い茂っている。もちろん大雨のあとには水没して護岸と護岸のあいだは全部川の流れになるけれど。川に沿って高速道路がある。そんな川なのにたまに歩くとコサギカワラヒワやときにはカワセミも見かける。

 海の日には浜降祭というちょっと大きなお祭りがあって、夜を徹して近隣の神社を出発した神輿が日の出前後に砂浜に着くようちゃんとどれも若い衆に担がれて行く。私の家の前のバス通りもそんな一つの神輿の通り道になっていてだいたい深夜2時頃にすごい歓声や担ぎ声で目が覚めるのだが、コロナ禍になり、今年もまた中止になっている。祭りのような地元のイベントに参加すればもっと気質が判るのだろうか。

 延々と茅ケ崎市について30年の新参者の感想を述べてきたが、そんなありふれた地方小都市の自宅でやっと雨があがった水曜日にテレワークをしてると、開け放たれた窓から外の音がもちろん聞こえる。頻繁に聞こえるのはバス通りを通る車の走行音だが、午後3時頃には下校の小学生の甲高い声が聞こえる時間帯もある。朝の6時や7時には雀やカワラヒワシジュウカラらしき小鳥のさえずりも聞けるし、そのあとカラスがうるさい時間があって、今日は11時頃にはなんとウグイスの声も聞こえてきた。蝉はミンミンゼミが多くなった。以前はアブラゼミばかりだったのに。すなわち、通勤圏の地方小都市であって目の前がバス通りで近くにコンビニや薬のチェーン店やマンションたあるような場所でも、一日窓を開けて仕事をしていると、そんな自然の音が聞こえてくるのだ。そうそう、以前、自宅のあるマンションの南側には水田が狭い範囲だったけど残っていたから、蛙の合唱もすさまじく、サッシを閉めても耳につくと煩くて眠れなかったくらいだった。

 熱中症予防で窓を閉めて冷房装置を使えと言うけれど、むかしは冷房装置なんかなかったよな。海風が通る。そしてこうして夏には窓を開けているといろんな音が聞こえるのがいい。子供を叱る声がふと聞こえたりもする。

 実家に帰っていた(実家は隣の市です)私が19歳の夏休み。実家の自室で窓を開けて過ごしていた夜に、近所の駐車場でずっと別れ話をしているカップルがいて、その話し声が聞こえてきたことをふと思い出した。男がずっと別れないでくれと懇願していて、そのときはさすがに窓を閉じて聞こえてくる声を遮断したと思う。同じく学生時代のこれも夏だったろうか、松山市に住んでいた友だちのところに遊びに行き、彼の下宿に泊めてもらって数日を過ごした。そこは学生アパートが建て込んでいるような場所で、どこかで安酒を飲んできたのだろうか、大きな声で話している連中の声がやっぱり開け放たれた窓から聞こえてきた。そのうち誰かがフォークギターを手にしてがちゃがちゃコードをストロークしはじめて、そして、その連中が皆で歌ったのは拓郎の「伽草子」だった。

♪ 君も少しは お酒を飲んだらいいさ おぼえたての歌を 唄ってほしい夜だ

スプーンもお皿も 耳を澄ましてさ ああいいネー ああいいネー

泣き出しそうな声で もう少し行きますか ♪

こういう歌詞を酔っ払い連中ががなり立てて笑い転げてまたがなり立てていた。この白石ありすの作詞の歌詞にはそのあと

♪ 雲が飛ばされて 月がぽっかりひとり言 こんな空は昔 ほおきに乗った魔法使いの

ものだったよと 悲しい顔してさ 君の絵本を 閉じてしまおう

もう少し幸せに 幸せになろうよ ♪

と続く。高校生の頃かな、この「雲が」以降の歌詞がいいなあと思って、こういう詩が書ける詩人にでもなりたいな、と思ったことがあったな。

 70~80年代には本屋の文庫本コーナーに行くと、五木寛之横溝正史半村良や川端や立原正秋安部公房山田風太郎が並び、そこに新たに片岡義男赤川次郎椎名誠が勢力を伸ばしてきていた。文庫本も時代とともにどんどん入れ替わるから作家もしょせんは「流行」作家なのだなと思う。立原正秋の短編に鎌倉の漁村を歩いていると、どこかの家から若い夫婦が昼間から愛し合っている声が聞こえた、という一説があって、若かったからそんな一説をいまも覚えているくらい、なんだろう・・・憧れた?(笑)のかな。いまはアマゾンを検索すると立原の文庫は一冊しかなくてあとはkindleに全集があるらしい。

 むかしは人の生活の気配も自然の音も、夏にはいつもなんとなく聞こえていたよなあ、そういうものであってそれも良かったよなあ、というじじいの思い出話でした。

 写真は茅ケ崎市の住宅地の中の小路です。村上春樹の小説に出てきそう。ねじまき鳥がいそうな。