工場のラインに戻ったようだった

 ここは国道一号線、東海道横浜市戸塚区原宿の交差点の地下道。原宿と言っても、竹下通のある都内の原宿じゃない。赤いメルセデスがいまトンネルの屋根の下から明るい日なたの領域に進んだところだ。次に止まっている車列が動き出せば、私の「蟹みそ色」のMazdaも日なたに入るだろう。高校3年まで両親と妹と住んでいた平塚市の実家は海沿いの国道134号線の近くで、近所のK君と砂浜に投げ釣りに行くためには、その国道を、信号なんかない場所で、左右を見て、車が来ないときを見計らって小走りで渡っていたが、真夏の土曜日曜や朝の通勤時間帯になると、車はこの写真と同じように列を作って止まったり、ゆっくりと動いたり、たぶんこの写真の場所よりもっとずっと「ほとんど進まない、徒歩の方が早いんじゃないか・・・」という渋滞が起きていた。そういうときは、止まっている車のあいだを縫うようにして渡っていた。渡りながら、この真夏の渋滞の車の移動速度は、ちょうど車工場の組み立てラインに再び乗っているような速度じゃないか、と思ったことがあった。そして、これはちょっと気の利いた比喩じゃないか、と自画自賛していた。

 例えばこんな感じで、でっちあげた嘘の話に使える。

 

『夏の午後、僕と”丘の上のピストル使い”はつなげると4mになる投げ釣り用のカーボンロッドとどうせ釣れないんだからと最小の釣り道具(釣り餌のアオイソメも)と、これは欠かせないカメラ(”丘の上のピストル使い”はキヤノンFTbで私はオリンパスOM1)とトランジスタラジオと折り畳み椅子を持って、のろのろ運転の車なんかをものともせず、海沿いの国道を渡り切って砂浜へと降りて行った。車は本当はいつもの時速60キロで走っているのに、僕たちの時間感覚が10倍も20倍も速くなっていて、その倍数分素早く身体が動けるようになり、というのはもちろん真夏の暑さのせいで身体の中身のいろんな「流れ」が溶け出して激流となっているからなのだが、それでこうして道を渡れるんじゃないか。そして、いまなら全てのスポーツ競技の全てのワールドレコードを塗り替えられそうだぞ。もちろんそんな筈はないけれど、列になって自由が利かない車は、それでもおとなしく前の車に従ってぶつからないようにゆっくりゆっくりと進む。まるで工場のラインに戻ったようだった。やぁ、いい車じゃないか、と”丘の上のピストル使い”は赤いカルマンギアのボンネットを軽くたたき、口をとがらせてなにか言いたげな運転席の長髪の若者に左手をちょっと挙げて「よぉ、久しぶり」などとふざけ、運転席の男は二度ほどクラクションを鳴らしたが、怒っているのか楽しんでいるのかわからない。助手席の髪の長い日焼けした女の子が笑っている、その白い歯が美しい。僕は僕で、緑のエアサスのシトロエンのボンネットを軽くたたいてみる。シトロエンの男はいわゆるピースサインを指で作って返してきたから僕も返した。

 その日の釣果は忘れてしまったが、夏の夜になり、”丘の上のピストル使い”と僕は今度は僕の四畳半の部屋でビールを飲んでいる。海風が停まってしまい、少しでも涼しくなるようにと青い羽根三枚のもう十年以上使っている扇風機を回している。扇風機には1、2、3と強さを変えるボタンが三つあって、切り替えるために押すとがっちゃんがっちゃんと機械が動いている感じがした。その感触が好きだったから無駄に速度を変えてみる、たまに。レコードを掛ける。片面終わると、次を掛ける。”丘の上のピストル使い”が最近買ったLPレコードと僕が最近買ったのとを交互に。ロン・カーターのピッコロベースの音が揺らぐ。陽炎みたいに。すると”丘の上のピストル使い”が突然いいことを思いついたという風に笑いながら言った。暑い昼間に国道渡るときに、一番熱くなってそうな車のボンネットに卵落としてみようよ、と。いくら暑くても、目玉焼きが出来る温度にまで熱くなっているわけないじゃないか、と僕は反論したが、彼は、いやエンジン室がオーバーヒート気味になっている車を選べば表面温度は75度くらいに行ってるんじゃないか?と言うのだった。それから僕たちはビールをぐいと飲んだ。もし目玉焼き出来たらどうする?”丘の上のピストル使い”はしばらく考えている。LPレコードのロン・カーターがちょっと眩暈が起きるような不思議な音を出している。「トマトとレタスと目玉焼きを挟んだサンドイッチだな」と言った。「辛子、必須」と僕が言えば「ひっす、ひっす」と答えた。

 深夜3時、目が覚めたので冷蔵庫を開けて一杯の冷たい水を飲み干した。”丘の上のピストル使い”は24時頃に帰って行った。何気なくテレビを付けると、ホワイトノイズが映る。チャンネルを変えて行っても次も次もホワイトノイズが映る。でも民放のひとつのチャンネルだけが少しだけエッチな感じの番組を流している。音を消してしまうと、音のないブラウン管のなかで三人の水着の女性と二人のお笑いタレントがじゃんけんをしているのが別世界の出来事のように思える。一人の女の子がじゃんけんで負けて、なにやらクライマックスになりそうだったが、そこでテレビを消した。隣の家の二階にぶら下げてある風鈴が一回だけチリンと鳴った。ふたたび横になる。”丘の上のピストル使い”も僕もボンネットで目玉焼きが出来ないことぐらいわかっている。かりに少しだけ固まっても時間を要するだろうし、第一割った玉子はボンネットのカーヴに沿って滑って行ってしまうのだろう。

 やっぱりもう少しテレビ見たかったかもしれないな。そんなこと、”丘の上のピストル使い”だって知っているけど、でも夏が終わらないためにはそういうことでもやっておかないとダメなんじゃないかな、と、きっとやつもそう思ったんだろう。もう肝心の場面は通り越して、いま付けても車のコマーシャルか男性化粧品のコマーシャルしか映らないんだろう。そうしておけば、季節は秋になっても、僕らは夏に居続けられるかもしれないじゃないか、僕らはずっと終わらない夏に・・・。あのじゃんけんの勝ち負けも脚本があるんかしら。

ロン・カーターも、ビーチ・ボーイズも、シュガー・ベイブも、ボズ・スキャッグスもいいけど・・・石川セリなんかも次に買うLPの候補だよなあ・・・ああ、眠いなあ・・・朝焼けが消える前にもう一度ささやいて、とかなんとかさ・・・だけどそんなのダメだって決めつけないで・・・やってみたらなにかわかる・・・かもしれないじゃん・・・zzz  』

 

Piccolo

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