アメリカの鱒釣りを再読

 R・ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」を久しぶりに再読した。これはアメリカにおける鱒釣りの指南書なんかではないです。あるいは釣りエッセイでもない。かなり短いものがあれば、それに比べるとちょっとは長い47の短編で構成されている本だ。鱒釣りをしながらの旅の途中のエピソードのほかに、アメリカのビートニクやヒッピーや低所得者たちや、あるいはそれに限らないアメリカの人たちの、暮らしの断片を描いているのだが、そこに「アメリカの鱒釣り」を、象徴というのか概念として、擬人化して語らせたり登場させたりした、不思議な感じの文章が集めらている。ずっと読んでいると、具体的エピソードと抽象的な概念が混沌として、そのうち逆転したように思えたり、あるいは平面で示されたアメリカという地図に時間軸が加わったうえで、あたりまえで繰り返されてきて誰も見向きもしない不変な出来事、それこそが国であり国民性だと思ったりする。この本はブローティガンの筆を借りて、アメリカという空気が書かせたものなのかもしれない、奇跡のような繊細な連作集だと思う。

 ブローティガンの本は本国アメリカよりも日本人に支持されたと聞いたことがあるし、本人も東京にも来たことがあるらしい。この不思議な文章から文章の意味ではなく、文章の抒情を感じ取ることにおいて、日本人向きだったのかもしれない。だいぶ前に自ら命を絶った作家だ。

 若い頃、二十歳前後に何度もこの本を読んだ。あの頃は新潮文庫ではなく晶文社の単行本だった。名古屋の大学に通っていて、大家さんの家のリビングの先にある廊下の奥に間借りしていた四畳半の部屋があって、そこで読んだ。夏には扇風機、冬には電気ストーヴしか、冷暖房手段がなかったが、寒さや暑さで苦労したことはなにも覚えてないし、覚えてないのではなくそもそもそんな苦労はしなかったのかもしれない。たいして気にならなかったんだろう。

 今日、読み終えた何度目かの再読の「アメリカの鱒釣り」。そこには繰り返すが47の短編が集められている。いま読むと、

1、ああこれね、よく覚えている・・・ロマンチックな話だな、

と懐かしく思い出す話があれば、

2、こんな話があったのかなにも覚えてないな、

というのもあれば、

3、一生懸命しっかりと読み取ろうと思っても結局なにが言いたいのか意味がわからず(自分なりのこじつけも出来ず)しょうがないから放っておいて次を読む、

というのもあった。そして、若い頃にこの本に夢中になったときにも1も2も3もあったに違いない。ただ、1があることで全体に対しても心酔して、この本は一番大事な本だ、などと思ったんじゃないか。2や3があっても「それはさておき」1があるからそれでいいじゃないか、それで最高だ、と。こういう一見単純な思考が出来るのが若い頃のエネルギーに満ちた特権だ。

 上の写真は少し前に有楽町あたりで撮った。ビルのガラスの壁のくねくねした線が、クリークのように見えたから写真を添えて「アメリカの鱒釣り」に手紙を書いて知らせた。初夏のことだ。すると「アメリカの鱒釣り」からすぐに返事が来た。「それはそうかもしれないが、ほら銀座に向かう人の流れを見ろよ。あそこに今年の流行色の緑色の疑似餌を投げ入れてごらん、きっと君の目下の夢が釣れる」それから「アメリカの鱒釣り」は「たいした夢じゃないんだよ、全部が全部、いつか時が経つとわかる。夢だったものが夢じゃなくなってると気付いたら、思い出だからなんて言わずに、さっさと手放すことだ。君だってリリースした鱒が澄んだ水の中で銀色にきらりと光るのを見たことがあるだろう」と。今年の夏も銀座に人々が行き交う。背の高い痩せた男が何人もいて、彼等のTシャツには、戦争反対とか、見えない虹を探そうとか、EOSRとか、書いてある。書いてないのもある。そのうちの何人かは夢のように美しく髪の長いあるいは短い女性と歩いている。彼女たちは多かれ少なかれ優しそうな胸の膨らみをシャツの下に持っていて、そのうちの一人は、その大きく膨らんだ緑のシャツにこう書いてあった。今日も必ずマヨネーズ。あぁ、真夏の東京、銀座に海風が吹いて、知らぬ間に昨日より早く、夕方がやって来る。そろそろ拠り所が欲しいな。拠り所は、教えてもらった。今日も必ずマヨネーズ。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AC%E3%83%B3

ブローティガンWikipedia

ここには『かなり飛躍した比喩を用い、深い心理描写を故意に欠いた文体で独特の幻想世界を築く。アメリカン・ドリームから遠く隔たった、どちらかと言えば落伍者的、社会的弱者風の人々の孤立した生活を掬う。日本では翻訳家の藤本和子がその著書のほとんどを翻訳し、時として原文以上とも評されたその清新な訳文は、日本における翻訳文学の系譜の上で重要なものである。作家でも村上春樹高橋源一郎小川洋子、といった面々が影響を受けている。』と書いてあった。

 アメリカの鱒釣りはマヨネーズで終わります。