午前は雨、午後は晴れ

 昨日は台風で一日中ずっと雨が降っていた。相模湾に面した町には大雨と波浪の警報が出ていた。今日、日曜日の午前もまだ雨が残っていた。わたしが日々身体を動かすのはウォーキング(スナップしながらの街歩き)しかないのだが、ここ四日ほど私事で忙しくて、そのウォーキングが出来ていなかった。今日は時間があったので、朝8:00前に自家用車で家を出て、葉山のあたりまで行って、森戸神社の周りを歩いてみた。それでも7000歩くらいだった。高台の公園から森戸神社の瓦屋根を見下ろし、さらにその向こうに広く太平洋(相模湾)が見渡せるが、雨に霞んでいて、台風が通り過ぎたあとも波が高いからだろう、ヨットや釣り船も見えなかった。高台の公園のある尾根から谷戸をはさんで向こうの尾根には葉山教会が緑の中にぽつんと見えた。公園には誰もおらず、ひとつき半かふたつき前に満開だったのだろう紫陽花の花が、少しだけ花びらに色を残しながら茶色く枯れて、それでも落ちずに残っていた。公園から坂を下りて、森戸神社と海を隔てるコンクリートの岸壁沿いに海を左手に見ながら進み、神社の下の磯浜から階段を上がって、神社の裏手に出る。参道に途中から回り込んで、二礼二拍手一礼でお詣りをした。帰り道はだいぶ混んでいて、江の島あたりは渋滞も出来ていた。江の島の水族館の前はものすごい人出で、コロナ第七波はもう人の行動を抑止していないようだった。昼頃に帰宅したら、その頃から晴れてきて、途端に気温が上昇し、あっという間に真夏の蒸し暑い日になった。

 午後は午後で、自転車に乗って、茅ケ崎の海を眺めに行った。その前に日本そばの店できのこのつけ蕎麦を食べた。海を眺めに行った、と言っても、海水浴場には行かない。南口から「加山雄三通り」と呼ばれるバス通りを行くと突き当たるあたりは海水浴場から東へ数百メートル行った遊泳禁止エリアで、海に入っている人はサーファーしかいない。海沿いのサイクリング道路に小さな休憩エリアのような場所があって、ベンチと海に面して手すりがあるから、その手すりに寄りかかって海を眺める。すると、ずっと南風、すなわち海風が吹いているから、暑いとはいえこれは気持ちがよい。そのあたりは砂浜の砂の流出防止のためなのか、サイクリング道路のすぐ下の砂浜にはテトラポットのような大きなコンクリートのブロックが置かれていて、半分くらいは砂に埋もれている。そのコンクリートがうまい具合に背もたれになるような場所を選んで、おもに一人で来ている人たちが十メートルおきくらいに座り、日に肌を焼きながら、読書をしている。さすがにこの日差しのなかで同じことをしようとは思わなかった。

 帰り道に、良く行くスペシャリティコーヒーのスタンドに寄る。アイスコーヒー、豆は四種類から選んだがなにを選んだのか忘れてしまいました。店内はベンチがあって、せいぜい三人くらいしか座れない。同じくアイスコーヒーを飲んでいる女性が読んでいる本(というかkindle)はなにやら難しい学術書らしく、女性が店主から「どんなことが書いてあるの?」と聞かれ、暇と退屈の違いについてとか、と答えていた。退屈だけど暇じゃない、というのはあるだろう。賃金を得るための単純作業など。では暇だけど退屈というのはなんだろう?と思ったので、その女性に聞いてみる。女性は我が意を得たりとばかり、すらすらと答えてくれたが、私はよく消化できない。上流社会のなかでは、教養のようにそう(暇だけど退屈ではない)できることが上流の証だったのかな。いまの言い方だと「自由な時間をどう有意義に過ごすか」といったことかしら。でもここに有意義なんて単語が出てくる時点でダメな気がする。もっと広くあまねく、悠然とした退屈ではない心持ちを暇に当てはめるようなことが出来たらよいと、言葉でうまく書けないけど、漠然と思う。

 写真は、午前の雨のなか、走って行ったスクーターです。