物語のカケラ

 たまにこのような、HDテレビになる前のテレビ画面を見ている感じで、低画素で諧調を圧縮し、色を少し抜いたような写真というか画像を作っている。元の写真は走っている電車の車窓から次の瞬間は後ろへ流れ去る一瞬の風景であって、家に帰ってからPCモニター上にそうして撮った写真を映し、写っている街や通行人を「はじめてちゃんと見る」のである。すると、ときどき、なんか物語のカケラがありそうな場面が写っている。そこで、小さく写っている通行人のところを、物語のカケラのところを、だいぶ拡大してから、秘伝の手法(なんてものじゃないですね(笑))で、この低画質画像を作るのだ。私は男子だから、若い男子がこういう状況(上の写真)で同じ方向に道の向こう側を歩いている若い女性を見つけた段階で、結構な割合で(そしてもてない奴ほど?)自意識過剰になって、それこそ「もしかしたらここから物語が始まって、一週間後にはあの女の子と友だち、いや、友だち以上の関係になっていることだって、なくはないぞ」などと夢見たり、妄想を抱いたりするのだ。この写真の彼はわかりませんよ、仮にこの写真の位置で歩いているのが18歳の岬たくだとすると、そういう頭になっていて、それは特異ではなくそういうやつは一杯いる。そうでない奴もいるけど。だけどそんなことをいちいち考えてばかりいるのは男子ばかりで、女子はそんな風に恋愛に対する期待や夢や妄想なんて抱いておらず、もっと清廉潔白で品行方正なことを考えているに違いない。いや・・・そうに違いないと、これまた18歳の岬たくはそう思っている。だからこの一方的な期待や夢や妄想を一ミリたりとも漏らすわけにはいかないのだった。いまとなっては(やっと最近わかったのだけれど?)、女子もこういう状況で男子を値踏みして、ちょっと背がすらりとしていて白いシャツも清潔そうでいいな、なんて思うこともあるらしいことを判っている。私も大人になったもんだ。すいません、若干脱線しましたが、このように「あとから仔細に写真を眺める」と、そこにあらためて見いだせる物語のカケラに気付くことがあるのだ。

 下の写真。誰かのアパートの狭い部屋に三人集まって、それぞれ漫画を読んだりゲームをしたり音楽を聴いたりする。うだうだと。そろそろ行こうか、と誰かが言う。まだ暑いんだろうな、しゃあないけど、面倒だなあ・・・と思いながら、三人は駅へと向かう川沿いの歩道を歩いて行く。そろそろ、彼らは、なにをするために駅の方へ向かうのか?バイトに行くとか?・・・揃って黒Tだからこれが制服で?

 いや、中学のときのクラスで同窓会みたいなのがあるってのはどうだろうか?同窓会ってどこか面倒で行くのやめよう、欠席しようと思う。一方で、そうは言っても一応顔を出しておいた方が無難かな、AやBが何やっているのか知りたいし、C子にも会ってみたい、と出席しようかなとも思う。でもな、C子なんか絶対彼氏いるだろうし今更会ってもしゃあない、とか悲観したり。そしてその欠席したい気持ち50と出席してみようかなと思う気持ち50が土俵の中央でがっぷり四つを組んでいる。それが同窓会。

 彼らは51:49で出席することにしているのだが、そう決めてしまえば、49あった欠席気分が頭をもたげてくるから、川沿いの道を歩いていてもなんとなく無口だったりする。

 とかね、いろいろと、妄想。