光るまち

 朝7:00から在宅勤務を開始し、15:30に定時を迎え、大磯にある自家用車のディーラーまで車を持ち込む。8月上旬に高速走行中に細かい振動を感じたのちエンジン警告灯が灯った。いつもの大磯のディーラーが夏休みだったので横浜のディーラーに持ち込み、応急処置だけしてもらっていたが、恒久修理をすべく、今日、大磯に持ち込んだ。2番プラグに失火(点火失敗)記録がありディーゼルエンジンの煤が原因と思われた。修理は一日がかりになるそうで、今日のところは修理日を決めるにとどまった。

 帰り道、ときどき雨粒がフロントガラスに当たった。寄り道をして、(このブログにもしょっちゅうその場所の記事を載せている)相模湾を広く見渡せる丘陵のてっぺんの公園まで坂道を上がってみた。水平線はぼんやりと霞んでいた。ほとんどだれもいないだろうと思っていたが、三組の男女が海を眺めていた。若い男女と中年の男女と老年の男女だ。数分だけ海を眺めていたが、雨が強くなってきたから引き上げた。デジタルカメラで撮った写真のEXIFデータを見たら、その場所にいたのは17:08から17:18の10分のあいだだった。そのあいだだけでも、この写真の水平線の色は薄くなり、北の丹沢方面の雲のなかから雷鳴が聞こえ始めた。雨が降り急に涼しくなり、暗くなるのも早くなり、こおろぎの声は盛んだ。

 帰りの車。USBメモリに入れてあった曲はこう歌われる。♪思いかえせば一昨日くらいのことのように思えるあの日たちは 埃を被って日焼けした小説の一部の如くになっていく あのライブハウスは無くなった 僕らも会うことは無くなった それでも今もこれからもこうして♪

 私が通った中学校の近くにあるちょっと大きな神社が四つの角のひとつを作っている国道の交差点を歩行者が渡るには、いまも歩道橋を上って下りるしかない。上から見ると交差点に×を描くような構造の歩道橋だ。赤信号で停まり歩道橋を渡って行く人の傘を見上げた。透明、グレー、黒、透明、水色、黒・・・平日の傘は地味な色ばかりだった。

 昨日のブログに書いたショートショートに、夜に一人サーフィンをしている中学生の男の子のことを書いた。70年代に私が住んでいた平塚の実家の近くの中学校(わたしは高校一年のときに、同じ平塚市でも東海道線より山側から海の近くに引っ越したので、その中学出身ではないのだが、高校時代によく一緒につるんでいた友だちや私の妹はその中学出身だ)を卒業し、その後、日本のプロサーファーのレジェンドになった人がいる。私は面識はないけれど、ウィキペディアでも調べることも出来て、私と同学年だとわかった。良い風が吹いて良い波が来ている日には授業を抜け出してサーフィンをしていたというのはなんとなくの噂として私の耳にも届いていたが、もちろん本当かどうかは判らない。さらに昨日の文章のように夜に一人サーフィンをしていたという話は聞いたこともない、完全にでっちあげだ。でもそんな昔聞いた噂を思い出しながら昨日の文章を書いた。するとブログを読んだ上記の友だちからメールが来て、レジェンドになったそのサーファーの名前を教えてくれた。名前で検索して、同じ学年だと判ったのだ。ということは友だちは中学時代に少なくとも面識はあったのかな。あるいは私の思い違いで、サーファーになった彼は、私の実家近くのH中学ではなく、そのもっと東のT中学の出身だろうか。

 高いところに上ると、そういう物語のある町が全部見渡せて、海も広く見渡せて、雨が降っている。歌詞のように、私はもうあのころの風化した物語にもあの頃の友だちにも、あの頃のように会うことは無くなった。会うとしても「あの頃のように」ではなく「あの頃を懐かしむことであの頃のようにではなく」会うのだろう。それでも町は光るまちに見えた。