海の魅力

 一昨日のブログに載せた水平線の写真を撮ったときの別のコマで、より東へカメラを向け、だいぶ焦点距離をワイドに引いている。左下に見えるのが江の島。ここに来て江の島を見ると、右、すなわち沖合に向けて進んでいくマッコウクジラのようだなと思う。

 江の島のすこし右のちょっと下に小さな黒いゴミのように写っているのは茅ケ崎沖の烏帽子岩で、サザンの歌にも歌われる。チャコの海岸物語に。戦時中、軍隊の砲撃練習の目標にされたと聞いたことがある。

 私は今日は少し疲れてしまっている。だからなかなか書くことが浮かばないな。でもしょうがない。あまり無理して元気になろうと空回りのように行動するとそのときは良いがそのあとにもっと疲れる。なんとなく、どうでもよいようでいて、どうでもよいわけではない、他愛ないけど大事な、そういう話を思いつくままに誰かさんとして、いや、それこそ、話さなくて無言でもいい、疲れが低気圧の前線が抜けるように通り抜けるのを待っているしかない。

 1990年頃まで、江の島のてっぺんにはいまのものより一世代前の展望台を兼ねた灯台があった。戦時下ではパラシュート舞台の訓練に使われていたと聞く骨組は金属だったろうけれど、あちこち木造の古いものだった。展望台フロアに上がると手すりが低くて、ちょっと怖かったと思う。下にはいまほどきれいになっていない古い植物苑の温室が見えていた。

 アメリカのファンタジーSF作家レイ・ブラッドベリの「霧笛」には大海に浮かぶ小島の灯台を仲間だったか親だったか子供だったか忘れたが、そう思い込んでいる首長竜が灯台にやって来る話だった。

 1979年の夏、この年は私が会社に入った節目の年なのでいろいろと覚えているのだが、江の島のヨットハーバー近くの広い場所?駐車場かな?を使って屋外コンサートが開かれた。ビーチ・ボーイズやザ・ハートが出演したように覚えている。あるいはもっと前、私が小学生高学年か中学生の頃、日曜日の朝になると父が平塚市の家から江の島あたりまでドライブに行くのに同乗していた。父はどこかへ行き風景やスナップ写真を撮って来ては、その写真を見て油絵を描くのが趣味だった。それでもしかすると江の島ヨットハーバーを描くたくなり写真を撮りに通っていたのかもしれない。あの頃の江の島には初代かな?加山雄三光進丸が停泊していた。

 江の島あたりでサザエのつぼ焼きを食べた。子供の頃。どういうわけか指先に醤油が焦げた匂いと貝の香りが混じった匂いが残っていた。指先の匂いをくんくん嗅いだ記憶はこのサザエのつぼ焼きのときと、もっと大人になってから鶴見のバーで飲んだカクテルに沿えらえたライムの香りが指先に残っていたことだ。

 疲れているときはこんなふうにむかしのことしか出てこない。情けないな。

 高いところから広く大きな海を見ると、人の知らないことがまだまだたくさんあるんだろうなと思える。そう思えるのが海の魅力だと思います。