そんなことを思っていたんだ

 その日、YouTubeで最初に何の動画を観ようと思ったのか忘れてしまったが、動画をひとつ見ると、関連する動画がずらりと並んだものからまた一つ選び、するとまた関連する動画が並ぶから、またそこからひとつ・・・と気ままに選んでいく様は、あてもなくここからどこかへ行くときに交差点やY字路に着くたびに、どちらへ行くかを選んでいるようなことで、無数に近い選択肢を放棄してひとつを進んでいるわけだけれど、そのひとつがリアルだから無数の可能性を放棄したことには無頓着だ。そして、名前は知っていても曲をひとつも知らなかったフジファブリックの「若者のすべて」を聴いて、若者とは正反対のこのおじさんは、この曲ちょっといいんじゃん、などと心のなかで「じゃん」付けで思い、アマゾンで中古のCDを数枚買ってみたから、通勤の行き帰りに聴くのは、NHK第一放送か、ポッドキャストのオーバーザサンか、USBに入っているたくろうやユーミンや、あるいはマイルスやハンコックや、あるいはボブ・ジェイムスやウェザーリポート。ほかにはニール・ヤングボブ・ディラン・・・ええと、くるり、ウィルコ、トラヴィス・・・などのアルバムで、それにフジファブリックが加わった。帰路、夕方6時過ぎ、会社を出るときにNHKニュースを付けて、ニュースのあと夏休み明けの子供の心の状態をリポートするような番組が終わったところで、FABFOXというアルバムを一曲目から掛けてみる、今日は最高気温が26℃までしか上がらなかった雨の晩夏の道は、早くも夜で、早く夜が来るということはなかなか夜が来ない頃よりも醒めていると思う。環状八号線は空いていて、フロントグラスの水滴がワイパーで払われてはまたすぐに付く。今日は遅い車が前にいても、一番右の追い越し車線には行かずに、前の車の速度に合わせて焦らずに行こうじゃないか。第三京浜と横浜新道を順調に進む。アルバムは曲が進み、二車線のうちの左車線が途中ずっと工事中の新湘南バイパスを途中の出口で降りたときに、アルバムは最後の「茜色の夕日」になった。聴いていると心がすごくざわついた。えっ、こんな感受性の細ったおじさんでもこんな風にちょっと刺さることがまだあるのか。若い頃に聴いたたくさんの曲が刺さったのは聴く側の自分の感受性に弾力があり、受け止める度量が広かったということだろうから、この年になりどんなにいい曲に出会っても、若い頃の「いい」とは違う。若い頃の「いい」は理屈じゃない言葉以前のような感受性が好き嫌いを仕分けていたんじゃないか。

 でもそうは言ってもやっぱり歌詞の言葉使いに茜色の夕日に「心がざわつく」原因の多くがあるんだと思う。もちろんメロディやボーカルの声質や、ほかにも色んな要因があるわけだが。

『君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ 忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ』と歌われるところ。大粒の涙が溢れてきて、そんなことが君に起きるなんて思ってもいなかった驚きが感じられる。これが「君のその小さな目から、大粒の涙が流れました」とか「君はその小さな目から 涙を流して泣いていた」だと事実を客観視している感じが強くなるんじゃないか、すると歌詞は普通に思える。だけど「溢れて来たんだ」というのはなんだか小さな子供がはじめて見た「現象」に驚愕しているようなピュアな驚きの気持ちが強く伝わると思った。

『東京の空の星は見えないと聞かされていたけど 見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ』というところの「聞かされていた」は受け身で単純にそれを信じていたという感じがする。これが「見えないと聞いたけれど」「見えないと聞いていたのだが」だと、主体性が強まって受け身な感じが希薄になると思う。聞かされていたことを信じていたけど、実際に星が見えて、それでとてもびっくりしてしまい、見えないこともないんだなと言葉をひとつづつ区切るように指先点呼のようにそう確認しているようだ。

 この歌詞の主人公は、当たり前に流されていないし、常識を振りかざして大人ぶらない。そして君の涙に驚いてしまい、東京の星にも驚いてしまう。こういうちょっとした言葉の使い方の違いで、この曲を聴く側の心をざわつかせてくるんじゃないだろうか。ただたどしくて純粋な歌詞だ。作詞の志村正彦が言葉使いにどこまで意識的だったのかはわからないけれど、無意識でもこういう言葉が出てきたのだとすると、なんだかそれだけですごい繊細な人だったんだろうと思ってしまいますね。Cメロの、僕には出来ない、と繰り返されるところは切ない。

 写真は夕方の開店前、飲食店の前に置かれたメニュー台と裸電球です。時間が進めばメニューが置かれ灯りが灯ります。でもいまは休憩時間。

 

 追伸。この曲の歌詞の途中にはこう歌われる。『短い夏が終わったのに 今 子供の頃のさびしさが無い』