海風は気持ちよい

 小さな漁船を降ろしたり引き上げたりするゆるやかなコンクリートのスロープがある海を国道から見ていた。写真を見直していて思い出した、8月の19日のことだ。海の色は季節とともに変化するらしい。ずいぶん以前に読んだ本に秋が来ると海の色がエメラルドグリーンに変わると書いてあった。この海の色はエメラルドグリーンだろうか。そうかもしれないなと思った。海の色に秋が見えるのかもしれない。この場所に来る直前にはやはり海が見える芝生のある公園を通って来た。そこにも一人で来ている男たちがいた。一人の若く少し太った男は真っ黒に日に焼けていた。公園にある水道の水を頭から何度も何度もかけていた。私が近づいて行くと、その男はとても私のことを気にし始めた。それが判ったので、踵を返して歩き、この場所に来た。最初はサーフィンやウインドサーフィンをやっている人たちが海に浮かんでいるだけだった。遠くから人の歓声が塊になってワーンという通奏低音のように聞こえている。ずっと聞こえているからそれを認識しようとしなければ、そんな音が聞こえていることを忘れてしまう。波の打ち寄せては引いて行く音はずいぶん小さい。ノウゼンカズラの花が咲いているのも見た。花は風に揺れていて、もう終わっている花と今が盛りの花が混じっていて、その下で二人ともがアロハシャツを着た中年女性が二人座って、水筒からなにか飲んでいた。最初にやってきた黒人の背の高いかっこいい男性は白いTシャツが似合う。スロープを途中まで下りてスマホを海に向けている。彼のスマホには手前の海にサーファーやウインドサーフィンの人が、そのもっと先には遊泳エリアで海の家が並ぶ由比ヶ浜海水浴場の大勢の人たちが映るんだろう。だけど彼は動画や写真を撮っている感じでもないのかな、海の音でも録音しているのかもしれない。1980年代には波の音だけとか波の音の向こうに微かにウクレレの音が聞こえる、なんていうレコード盤も出ていた。いや、いまもそういうCDはあるのだろうけれど、あの頃はそれが新しくて、そういうのを流しながら休日にどこかリゾートの別荘で寝転がって過ごすようなことが憧れだった(面もある)。それにしても男の姿勢はきれいだな。背筋が伸びている。男はずっとそこに立っていた。

 男がやって来て立っているあいだに砂浜の方からスロープを上がって来る別の男が通って行った。新しい男は明るいライムグリーンの長袖シャツを着ている。顎髭を伸ばし、長い髪を後ろに垂らして帽子を被っていた。長髪の男がなにをしているのかももちろんわからない。風貌が特徴があるから、この辺りに住んでいる人たちなら、彼が何をしている男か知っている人も大勢いそうだと思う。

 ふたりの男たちが何をしているのかは全くわからないが、二人はそれぞれ、いや私もだったから三人か、一人で海に来ている。まぁ私の場合はいつも写真を撮ろうという思いがあって、心の中をすべて空にするような芸当は出来ないし、あるいは考えるべき目下の課題があればそれを思索したりもっと具体的な計画を作ったり、そんなこともしない。なんだろう・・・もしかすると写真を撮るということを免罪符にする感じで、実際はいろんなことから逃げているのかもしれない。

 男たちはそれぞれなにか作っているのかもしれない。会社勤めという感じじゃない。個人のウェブデザインナーで請け負ったどこかの会社のHPのトップページのデザインについて悩んでいるかもしれないし、いやいや和菓子屋の跡取りであって、なかなか引き継ぐべき同じ味の饅頭が作れないのかもしれないし、恋人になりたい女性に送るラインの文章をさんざんずっと悩み続けているかもしれない。あるいは作家で幻想的な未来ストーリィを思いついた。そこに一ひねり入れたいがよいエピソードが出てこないのかもしれない。ぜんぜん違って、後継者がなかなかいない地元に伝わる・・・・なんでしょうね?提灯づくり(えっ?なにそれ・・・って、とりあえず浮かんだもので)のある工程がうまく進まないのかもしれない。そういうときにちょっと気晴らしで海を見に来た、と勝手に想像すると、近くに海があるとなんだかいいなあ、などと思うわけだが、そんなのも勝手な決めつけだろうな。

 海風は気持ちよい。だからもう少しここにいようと思った。そんな8/19のことだった。