惹きつけるなにか

 今日は在宅勤務で一歩も外に出ず朝七時から夜の七時までパソコン画面を見ながら仕事をし続けていた。終わってみたら、なんだか疲れてしまっている。出勤すれば意外と業務以外の話を誰かとして少し気を抜いたり、誰かと話すためにPCモニターの前から離れたりするだろう。そういうのって意外と息抜きというのか・・・必要なことなんだなと思う。夜になって、いつものようにこのブログを書くために、まず写真を見直すことから始める。今日はそんなわけで一コマも写真を撮らなかったので、いつものやり方で、ちょうど一年前の今日撮った写真を見直してみた。一年前の9月20日は快晴の休日で私は小田原と二宮をカメラを持って散歩していた。だけどここに載せたい写真は一年前の写真ファイルからは見つけられなかった。こういうときって、迷う。書店で読みたい本がすぐに見つかるときと(そういう日は一冊だけではなく次々に見つかることも多い)何度も何度も文庫本の棚を端から端まで歩いても、なかなか読みたい本が見つけられないときがくっきり分かれる感じを本が好きな方ならたぶんみな知っている。もしかすると、今日ではない明日や明後日の気分で一年前に小田原や二宮で撮った写真を見直すと、今度はなにか見つけられるかもしれない。

 上の写真は昨日、茅ケ崎の自宅から相模湾沿いの国道134号線を東へ向かう朝、逆光の朝に赤信号で停まったときに撮った写真。まぁ上記のような状態でもなんとか選んでみた一枚です。すれ違って行く自転車のすぐ後方の画面の右側、道路から海の方へ張り出している場所が七里ガ浜の駐車場。写真が霞んで見えるのは、海水が霧のようになってるのです。

 50年近く前にテレビドラマ「俺たちの朝」の冒頭で小室等の歌う主題歌とともにこの駐車場で撮られた場面が流れていた。私は1980年代前半に横浜市緑区にあった会社の寮から、休日になるとオートバイに乗ってここまで来て、駐車場に集う人々や車や、置かれたサーフボードなんかを、中望遠から望遠のレンズを付けたフイルムの一眼レフカメラでたくさん撮っていた。フイルムはコダックのKR64と呼ばれたコダクローム64が主体だったと思う。モノクロを撮るときはもっと小さなカメラのワイドから標準の単焦点レンズで撮っていた。ふと、ここにあるのがいつでも当たり前のこの駐車場ってこの先もずっと存在するものなのだろうか?と思った。むかしより駐車場の下の砂浜が小さくなって海が迫ってきているように感じる。調べると1960年代に七里ガ浜の住宅地造成で出た土砂を使ってここに駐車場が作られたと書いてあったから、仮にそれが1960年のことだとすると62年も駐車場はずっとある。集まって来る車のデザインも、若い人たちの服装やらは、もちろん時代とともに、というより流行とともに変わっている。だけど、海沿いの国道をこうしてサイクリングをしている人、あるいはジョギング(1980年頃はジョギングなどとは言わずにランニングだったかな)する人、なにより海を眺める人、犬の散歩に来る人、波の様子を見に来る人、もちろんサーファー、こういう人たちはあまり変わらない。人は60年前も40年前も今も、海を見に行くし海に遊びに行く。すぐには変わらない人を惹きつける何かが海にはあるんだろうな。

 写真を見ているうちに、最近はいつもこの国道を運転して通過しているだけで、電車を乗り継いで七里ガ浜の駐車場に行くことから遠ざかっていると思う。だけど覚えていないだけで数か月前にはあったかな・・・?まぁ、上記の1980年代にはほぼ毎週来ていたのだからあの頃と比べるとぜんぜんだ。かといって、自分の車でこの駐車場に入ったことは何故かないのでした。