根岸の米軍居住地にあった消防署(80年代撮影)

 横浜市京浜東北線山手駅または根岸駅から坂を上ったところにある根岸の森林公園に隣接していまも日本人は入ることのできない米軍基地勤務者向け住宅地がある、もしくは、あった。2013年頃の初夏だろうか、住宅地の公開日に、入り口で入念な荷物チェックをされたあとに敷地内に入ることができた。そのときは米軍の司令官と横浜中区長のが順番に挨拶をした。よくある高校や大学の文化祭のように、米軍勤務のひとたちが屋台を出していて、大きなウインナーを売っていた。敷地内には映画館やボーリング場もあった。いま調べると、2018年か2019年には米軍は完全撤収したようで、跡地利用が検討されている最中らしい。誰も住まなくなった米軍住宅はそのまま残っているのだろうか。この写真は1980年代に撮った。根岸の森林公園の前の道をユーミンが「海を見ていた午後」で歌っている「山手のドルフィン」の方に歩いて行き、日本人が入れるぎりの場所に、この消防署があった。もうないのだろうか、返還されたのだからないんだろうな。こんど、山手のあたりに行く機会があれば、ちょっとどうなっているのか見に行きたいな。

 1980年代にここに行ったときはこんな写真のほかに黄色や赤の消防車両に近づいてもっとアップで撮ったりもした。この時代の横浜では、シェル石油回転ドアのあるビルが好きで、何度か見に行ったと思う。アントニン・レーモンドの設計だった。いまは観光地になっている港湾地区の赤レンガ倉庫は、当時は荒廃した廃墟のようで、真夏にライトアップされたときにそこを警備していたおじさんが、二階の廊下を幽霊が走るからぞっとする、と言っていた。廃墟だった赤レンガ倉庫が、そのままショッピングモールとして再活用され、観光地になって大勢の人がやってくるようになったわけだが、そこにいついていた幽霊はどうなったのかな?

 ユーミンの歌には『ソーダ水のなかを貨物船が通る、小さな泡も恋のように消えて行った』と歌われる(歌詞を調べた)。だけど歌詞を調べる前のうろ覚えでは『小さな恋も泡のように消えて行った』だと思っていた。泡と恋、どっちが主体なのかにより入れ替わる。ユーミンの歌詞の方がもう諦めが付いている感じが少しするかな。

 横浜の横浜らしさが漂うこのあたりは特に坂道が多い。