カーヴと坂道がある町

 一昨日の日曜日、友人に案内いただき今まで行ったことのない東京の下町、南千住へ行き操車場を眺めたことは昨日のブログに書いた通りですが、その後、三ノ輪橋駅から都電に乗って王子まで行きました。都電に乗ったのも初めてだった。小学生か中学生の頃、油絵を描くのが趣味だった父が上野の美術館に誰かの展覧会を観に行くというので一緒に連れて行ってもらったことがあった。それが誰の展覧会だったのかはなにも覚えていないのだけれど、それよりも上野の駅前を走っている都電を見つけてその写真を数枚撮ったことの方を覚えている。都電といえばそれしか思い出がなくて、乗車したこともないうちにほとんどの路線が廃止されたのだろう。どういう経緯でこの三ノ輪橋と早稲田をつなぐ路線だけが残ったのだろうか。車道との併用区間が少なかったのか?

 山道は曲がりくねって上ったり下ったりする。山の中のそれは当たり前だ。街中にもそういう場所はある。例えば上の写真の場所は王子駅から見た風景。線路を支える橋梁にはリベットが並んでいる。道はカーヴしてかつ坂道だ。都電と車道は併用されているようだ。街中に坂道やカーヴした道があるとちょっとわくわくするのはなんででしょう?カーヴや坂道は、風景の節目というのか句読点で(あぁそれがランドマークってことかな・・・)それゆえそこで起きたことが思い出としてその風景に紐づけられる。そして、そういうことが一般化して、思い出がない新しい場所に行っても、カーヴや坂道があると惹かれる・・・のだろうか?と、思いついて書いてみたが、私が育った町は海沿いの平野の町で、道筋も概ね直線だったから、そんなカーヴや坂道にぶらさがった個人の思い出なんかないな。

 坂道もカーヴも先を見通せないことが不安と期待を纏うのだろうか?村上春樹の「羊をめぐる冒険」には不吉なカーヴが登場したことを思い出した。だけどカーヴの先には坂を上り切り見晴らした向こう側は、広く明るいのが、やっぱりいい。

 堀江敏幸に「いつか王子駅で」ってありましたね。再読してみようかな。