多摩川渡る

 昨日11/2水曜日、東京駅八重洲口近くの居酒屋でおじさん4名の飲み会、むかし30年くらい前には同じ会社のほぼ同じ部署で同じテーマの仕事をしていたメンバー。18:00から21:40くらいまでずっと話していた。写真は帰りの電車、東海道線(東京ー熱海、東海道線は長いから区間名併記)下り電車が多摩川の鉄橋を渡るところ。隣は京浜急行線の鉄橋(鋼鉄トラス、1971年竣工)で、向こうには川崎市の川沿いのマンションのあかり。水鏡とまでは言えないけれど、川の流れは比較的穏やかなんだろう、影を映していました。20年か30年か前には、この写真のいちばん左側あたりに音響機器のコロンビアの工場があって、音符マークのネオンサインが可愛らしかった。そのころの写真はこのブログの過去記事に載せたことがあります。

コロンビアの音符のネオンが見えた頃 - 続々・ノボリゾウ日録 by 岬 たく (hatenablog.com)

 家に帰り、自室のハンガーに掛けてあるたくさんのネクタイを眺める。ネクタイをたとえば年間2本くらい買ってきたとして、サラリーマンを40年やっていると80本。締めないネクタイ、ほつれたネクタイ、をたまには廃棄してきたが、それでも30-40本は持っているだろう。二日続けて同じネクタイを締めて行くことは避けているからどのネクタイも年に最低でも一度は使うんじゃないか。気に入っているものは(このなかにも気楽な気分で多用するのと、なにかプレゼンとか偉い人への説明とかがある日にしていく勝負ネクタイ(笑)という気分の差がある)もっと稼働日が多くなる。すごい不遜な比喩だけれど、長いこと生きていると、ネクタイと同様、知人友人の数も自然と増える。向こうから声が掛かればのこのこ出かけていき旧交を温め、食って飲んで話すことはやぶさかではないが、こちらから声を掛けるのはめんどくさいからなかなかやらないものだ。今日の四人の飲み会は私が声を掛けて設定した。メールやラインがあるから声かけハードルは低くなっている感じもする。むかしはいちいち電話して調整していたからやり取り回数だけで今から思うと半端ない。めんどくさい分、がんばるとコミュニケーションが厚くなる社会だったってことか。

 飲み会に行く前、50分ほど時間が空いていたのでアーティゾン美術館に行って、マルセル・デュシャンの小さな展示と常設展示を見た。見終わり、夜の八重洲を歩いていると大きな交差点で信号が青になるのを待っている会社員が十人二十人と溜まる。彼らの半数以上が信号を待ちながらスマホ画面を見ている。スマホでメールやライン等SNSが当たり前になり、連絡することが楽になったぶん、密度と連絡先人数が増大し、結局スケジュールが多くなり気分的に休めなくなっているのだろうか。行きたくない飲み会を断るのも難しい場合もあるだろうな。ときどきこのブログにも書いて来たけど、スマホなんかは生活の標準機器として置き換わり君臨しているけど、物理的には便利な機器であっても、生活標準必需品というだけで、精神的に生活を豊かにした機器とは言えないかもしれないですね。やはり便利はその分余裕を生んで精神的にも楽を、すなわち生活の豊かさをもたらさなくては・・・ま、使い方の問題だともいえるが、ぜんぶスピードに置き換えて詰め込み過ぎにしていたら本末転倒。なんてことを書いているこの機器もパソコンなんですけどね。現在の標準機器というだけ・・・

 話変わりますが、下の写真はマルセル・デュシャンのアート・イン・ボックスのとある作品に収められたイラスト?絵画?印刷物?・・・なのですが、この三つの輪っかの形のオブジェって箱根のポーラ美術館のエスカレーターの横に電飾で作られた作品としても天井から下げられていたし、このデュシャンの展示会で他の方のボックス作品にも似た図柄のオブジェが飾られていましたが、美術史的にどういう謂れというのか背景?歴史?のあるものなんですか?

 さて、さっきまでワイワイやっていた飲み会が解散し、駅でみんなと「じゃ、また」と言って別れて、夜を走る電車の車窓を眺めていると、飲み会にはいなかった誰かのことがふと浮かんで、今はどうしているかな?と思ったりしますね。