納屋からはじまる思い出

 写真を撮るとき、被写体に垂直水平のある建物などの場合、カメラのファインダーに表示される垂直水平ガイダンス表示をけっこう気にしてしまう。ちゃんと正対していないとガイダンスに合わせても水平線は傾くけれど垂直線はちゃんと出るはずだ。建物は見上げることが多いからどうしても上がすぼまる(この場合は仰角が付いているから垂直は崩れるが画面の中心の縦線は真っ直ぐ傾かずに置こうとする)。世の中にはシフトレンズというのがあり、それを買おうとまでは思わないが(お高いし、基本三脚で使用だし)それが必要な写真があることはよくわかる。このブログに載せる写真も傾き補正とときどき台形補正を、これはフォトショの画像補正でかけることもある。さて、だけどこの写真のように、建物自体が歪んでいると、どれが水平垂直かわかりませんね(笑)。写真を撮るときに、ガイダンスに従ってちゃんと水平垂直を出していたと思うから、たぶんこれがこの建物の姿なのだろうな。納屋です。納屋も建物と呼んでいいのかわかりませんが。納屋にしては大きいかも。村上春樹の「納屋を焼く」で焼かれる納屋よりは大きいし場所も危ない、と思うけど、これは短編小説を読んで自分が思い描いた、小説のなかで焼かれる納屋の印象に照らし合わせているだけだから個人の感想で、こういう納屋があの小説では燃やされるんだよ、と感じる方もいるかもしれない。

 茅ケ崎市の南湖院太陽の郷公園には南湖院がサナトリウムだった頃の病舎が一棟保存されていて、あとは小さな池があったり藤棚があったり緩やかな高低差がある芝生が広がり、いろんな木々もある。ひとつ前のこのブログに載せた夏ミカンの木もある。松ぼっくりをたくさん落としていた背の高い松もあった。この納屋はその公園を維持管理するための職員の方が使う納屋だと思われる。なかになにがあるのだろうか?芝刈り機かしら、脚立もあるかもしれない。

 小学生の頃に読んでいた少年少女向けの冒険小説には、本の冒頭によく地図が載っていた。あの地図があることによって読書したい!という気分がより盛り上がった気がします。そして地図に憧れた私は、たかだか四畳半の自室の地図を描いて遊んだものですね。誰かとの遊びではなく一人でひっそり。部屋のどこになにがしまってあるか、ではなくて、なにが隠してあるかだし、単なる部屋の机ではなくて基地指令室の長官机・・・といった妄想をしながらの地図だったんじゃないかな。

 住んでいた木造平屋の長屋には玄関と勝手口の二か所の入り口があり、勝手口の前にはまさに物置(納屋)がありましたね。トタンの。そこには風呂を沸かすための薪が置かれていた。薪は注文すると軽トラで配達されて、それを父はさらに鉈で細くしてからくべていた。昭和45年頃まではそうやって風呂を沸かしてて、いまでは考えられないかもしれないけど入浴はだいたい二日に一度だった。二日に一度にせよ、毎回毎回薪で風呂を沸かすのは大変だったろうが、それが当たり前の世の中だと、だれも大変だとは思わずそういうもんだと思っていたのだろう。

 薪のほかに自転車も雨ざらしにならないよう、その物置小屋に置いていた。なんインチの自転車だったのかは忘れたが子供自転車。雨の日には、ときどきその小屋の自転車の横に居場所を作り、本を読んで時間を過ごしたこともあった気がする。木造平屋は父が勤めていた総合病院の社宅だった。裏木戸から総合病院の結核病棟の裏に出られた、そこから渡り廊下を通り、外来病棟や動物飼育棟や検査室やレントゲン室など敷地内に点在する建物に歩いて行けたし、その敷地にはテニスコートと花壇と運動広場、さらにそれらを仕切るところどころに椎の並木があった。それこそいまでも地図に描けるくらいだ。たぶん病棟は五棟くらいあり、あいだを屋根のある渡り廊下が繋いでいた。

 裏木戸から子供自転車で出て、そういう総合病院の敷地内に自分だけの回遊経路を作っていた。経路の途中に仮想の駅を作りそこでわざわざ自転車を停めて、頭のなかで駅の放送を流していた。

 いつもいつもこんな妄想の一人遊びをしていたわけではないですよ。草野球や基地ごっこや木登りに興じたものです。納屋からはじまりいろいろ思い出にふけってしまいました。やれやれ。