露出アンダーになりがちな理由

 今日も京都に来ていますが、それはさておき、写真は都内の代官山と渋谷の中間地点付近を歩いているときに撮った青っぽい古めかしい集合住宅の階段。ひと月くらい前、高橋恭二の写真展のあとに歩いたときです。フイルムカメラで撮っています。古いフイルムのマニュアルカメラを使ったことのない人は、とっても難しい作業だと思うかもしれない、その頃はこれからここを撮るというその場所の光の量、すなわち明るさや暗さを、自分の目で見て、入れているフイルムの感度も勘案した上で、シャッター速度と絞り値の組合せを自分で決めていた。このくらいなら写真が真っ白に飛んだり、真っ暗で写ってない、そんなことにならないだろうと。自分で決めるというとなんかちょっとかっこいいけど、決めた結果がハズレてしまうこともよくありました。今はカメラがセンサーとマイコンを駆使して決めてくれて失敗しないようにしてくれる。そこからさらにもう少し明るくとか暗くとかは、カメラマンに委ねられるものの。
 癖がありまして、私の場合、快晴や晴れはほぼちゃんと正しい露出となるマニュアル設定が出来るのですが、少し暗くなったとき、曇天や昼下りから夕方、明らかに暗い夜ではないそういうときに、自分が定めるシャッター速度と絞り値だと、露出アンダー、取り込んだ光の量が足らないことが多発します。これはね、手ぶれしたくないという気持ちが無意識的に働いて、シャッター速度の選択幅を標準レンズの場合は1/30秒、がんばっても1/15秒までで留めてそれ以上スローシャッターにしたくない、という気持ちが無意識的に働いていると思うのです。それから絞りの方も、特に古いレンズでは窓を一番全開にする、この状態を絞り開放にすると言うのですが、全開にすると像が甘くなりがち、甘いとはぼんやりしていて細かいところまで写ってない感じかな、そうなりやすいのでちょっとだけは開放より窓を閉じておきたい。この気分も無意識的に働く。手ぶれしたくない、甘くしたくない、この2つの理由から、スローシャッターや絞りを全開に、なるべくしたくないという気分が働き、まぁこんなのも正常性バイアスかもしれません、これくらいのシャッター速度と絞り値ならなんとか写るよね、と思い込みたくなる。そういう手ぶれと画質への懸念の結果、なんとなーく露出アンダーな感光量不足の写真ばかりになるのです。これはわたしの癖だろう。
 この写真も露出アンダーです。それを現像及びデータ化をやってくれるカメラ店がデータにするときに自動的に?多分、それなりに写ってるものがわかるようにデータ化時の画像補正で少し救ってくれている。その結果、ちょっとざらついた感じがしてますね。でもまぁこれがフイルムの味だ!なんていう意見もあるかもしれない。
 青いマンションに住むのってどうだろう。絵本の、そらいろのいえ、には空色の家が出て来ます。絵本に感激してのだろうか?知り合いに戸建ての家を買ったときに外観色を空色にした人がいました。ロマンティックだなと思った。リフォームのときに空色をやめてしまったのが残念でした。